農地の所有高

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蒲生村の田畑所有調をみると五反未満層と五反~一町未満層は大正六年から八年にかけて減少をみせているが、大正十~十二年には著しい増加を示している。また一~二町未満層から二〇~三〇町未満層は大正十二年に減少したが後には増加の傾向を示す。この第19表を前提にして実際上の農家経営における収益性を考えるために第20表の農作業営業戸数をみる。この表は所有地ではなく耕作規模における経営反別を示すものである。大正四年にみえる三~五町未満がその後に姿を消すこと、一~二町未満と二~三町未満の戸数が増加ないし安定していることから、大正期においては一般的にいって自作の場合に三町歩以上は自作経営が困難な傾向にあり、専業と兼業を含むとみられる一~二町未満、それに二~三町未満の経営が大正期を通じて安定し、大正十二年を境にして増大傾向にあることである。これに対して専業五反未満規模は大正十二年以降に激減すると同時に兼業=副業が著しく増大する。五反~一町未満規模も専業は大正十二年以降減少し兼業が増加し、五反未満規模に似た動きを示している。自小作地率と田畑所有と耕作規模の三者の間にはどのような関係があるだろうか。この三者の特色をふまえて自作・自小作・小作における本兼業別戸数をあきらかにした第21表とつきあわせてみる。自作兼小作層は専業・兼業ともに大正十二年以降にふえ、小作層は専業戸数の減少と兼業戸数の増加がみられるが、小作農全体では減少傾向にある。また自作農の兼業は、十四年頃より急激な増加があることが判明するのである。

第19表 蒲生村田畑所有調
5反未満 5反~1町未満 1~2町未満 2~3町未満 3~5町未満 5~10町未満 10~20町未満 20~30町未満 合計
大正2年 88 27 18 10 5 11 4 3 166
4  97 23 18 11 5 10 5 3 172
6  95 20 23 10 5 10 6 2 171
8  96 21 21 9 4 10 6 2 169
10  130 28 20 10 5 10 6 2 211
12  136 24 14 7 3 7 4 1 196
14  105 31 26 9 9 9 7 2 198

(単位 戸数)

第20表 蒲生村農作業営業戸数
5反未満 5反~1町未満 1~2町未満 2~3町未満 3~5町未満 合計
専業 兼業 合計 専業 兼業 合計 専業 兼業 合計 専業 兼業 合計 専業 兼業 合計 専業 兼業 合計
大正2年 123 113 131 2 1 370
4  75 63 138 103 12 115 127 3 130 8 8 1 1 314 78 392
6  89 50 139 104 14 118 127 3 130 9 9 329 67 396
8  89 50 139 107 14 121 124 3 127 8 8 328 67 395
10  89 50 139 107 14 121 123 3 126 7 7 326 67 393
12  16 132 148 94 16 110 144 2 146 16 16 270 150 420
14  56 81 137 104 17 121 127 7 134 12 12 299 105 404
第21表 蒲生村自小作戸数
自作 自作兼小作 小作 合計
本業 兼業 合計 本業 兼業 合計 本業 兼業 合計 本業 兼業 合計
大正4年 24 9 33 82 13 95 208 56 264 314 78 392
6  21 12 33 76 7 83 232 48 280 329 67 396
8  20 12 32 75 7 82 234 47 281 329 66 395
10  20 12 32 75 7 82 234 45 279 329 64 393
12  19 6 25 105 25 130 146 119 265 270 150 420
14  40 11 51 87 30 117 172 64 236 299 105 404

 蒲生村の大正期の地主制の側面からみた農業経営は、七〇%台におよぶ小作地率に示される土地所有の特色が、そのまま地主制の前進を意味するのではなく、自作・自小作経営一町~三町未満層が大正後期に増大する。つまり経営を安定させる層=中農層として進出してくる。経営五反未満層と経営五反~一町層は、経営が同時期に不安定な様相を示して経営が後退し、その経営不安定を補う意味で兼業化の傾向をつよめてくるが、依然不安定である。ただ経営五反~一町層の兼業化は経営安定化にある程度適応したのか、若干の増加をみる。土地所有規模三町以上層は自作経営の限界耕地面積三町の点からも小作地として貸付をおこなったほうがよく、このため全体として小作地率は高いが経営五反未満層、五反~一町未満層の経営が安定しないためそれは必ずしも地主制の進展を意味していない。蒲生村の大正十年代以降の農業経営は、経営一~三町層の中農を標準化する方向で、この層にはまた自小作層も接近する傾向を示す。

 なお桜井村については、大正十三年段階の自作地は二七〇町四反(三八・一%)、小作地は四三九町七反(六一・九%)という数字があらわれており、蒲生村よりも小作地率は低いが、県・郡よりも高い。自作農八五戸、自小作一三一戸、小作一四一戸で、これを所有段別でみると、五反未満一六八戸、五反~一町未満三三戸、一~二町未満六七戸、二~三町未満一五戸、三町以上九戸となる。さらに経営規模別にみると五反未満三七戸、五反~一町未満一〇九戸、一~二町未満一八七戸、二~三町未満一五戸、三町以上九戸となっており、いわゆる中農標準化傾向が表われている。