大正期に農産物はどのような推移をたどるのかを、蒲生村の場合をとってみてみたい。蒲生村における物産額合計と農産額とをみると、大正二年はそれぞれ一四万七八五二円、一一万二二三三円となっている。これは明治末年の一八万四三一五円、一五万〇二〇二円に及ばない。さらに、大正六年においても一七万七一五四円、一三万〇七四六円であるがこれは不景気の影響であったろう。そして生産額が向上するのは大正八年以降である。すなわち同年度は三三万四〇四三円、二六万八九五〇円となっている。蒲生村の米穀生産は生産量と同金額ともに、農産物の中心を占めている性質上、物産額の推移と同じ傾向が示されている。大正四年の生産量は六〇二六石、金額は七万八二〇五円、五年には五七一六石、一一万二四六七円、八年には六〇一八石、二四万一九〇一円、十年には五三四七石、二〇万七五〇〇石、十二年には五八一一石、一九万四八七七円、十四年には六三二三石、二三万一三八一円となっている。農産物を中心とする物産はこのようにいくつかの波を描きながら大正時代を通じて上昇する。
その農産物の種類別による産額を示したのが第22表である。大正十年頃までの農産物は米・麦・大小豆・菜種・繭等がその主要なものであるが、同十二年頃からは蔬菜類等の産額が急速に増加する。その品目は、甘藷・里芋・馬鈴薯・大根・ニンジン・葱・漬菜・瓜類・茄子・生薑・蓮根蜀黍・果実・クワイ・蕗等であり、都市近邸における商品作物たる蔬菜の栽培が増大している。また大正十四年八月の桜井村農事改良組合事業成績報告にも、園芸栽培品種の葱・玉葱・枝豆・白菜・三ツ葉・胡瓜・クワイ・蕗・切花(夏菊・グラジオラス・十五夜花・赤目柳)の生産がおこなわれていることが記されているが、ことに同農事改良組合長は切花等の販売のため東京市場へ出向いている。蔬菜生産は越谷市域において有力な部門として成長してくるのである。
大正4年 | 大正8年 | 大正12年 | 大正14年 | |
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米穀 | 78,205 | 241,901 | 194,877 | 231,381 |
麦 | 5,296 | 10,302 | 5,767 | 10,970 |
大,小豆 | 2,503 | 4,000 | 1,200 | 1,380 |
菜種 | 389 | 5,600 | 1,320 | ― |
繭 | 190 | 1,909 | 1,118 | 1,113 |
果実 | 347 | 600 | 280 | ― |
疏菜(及花卉) | ― | ― | 43,568 | 38,479 |
自給肥料 | 2,988 | ― | ― | ― |
その他農産物 | 2,630 | 4,638 | 1,395 | 3,000 |
家禽 | 536 | 891 | 1,475 | 1,811 |
鶏卵 | 1,248 | 2,683 | 3,975 | 3,547 |
その他畜産物 | 250 | ― | ― | ― |
林産物 | 544 | ― | 1,550 | ― |
(単位 円)