東小林信用組合の事業

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第28表は増林村東小林信用購買販売組合の組合員数等の変遷である。大正元~八年間に組合員は僅かしか増加しないが、出資払込金高は倍増に近い増加を示す。大正三年度における組合員内訳をみると農業六一、工業五、商業一、雑業一〇という構成である。非農業組合員も農業兼業というかたちをとっており、その全部が農民である。組合の事業目的は、農業主体の信用融資と購買と販売にあるが、大正八年までの組合事業資金は、日本勧業銀行・日進銀行・永川貯蓄銀行・埼玉県信用組合連合会から総計三万七四〇〇円の借入金、このほか組合員貯金等である。勧銀からの借入金の利子は五分八厘であるが、他は一割八厘から九分等とかなり高率である。借入金は大正五年に三行から六八五〇円あったのが最高額である。組合の預金は日進銀行と県信用組合連合会にそれぞれ分けて預入れされているが、大正八年には後者に主体を移す。六年までは預金高も不安定で少額であり、七年以降、漸く増加する。剰余金は組合の全体の事業によって得た利益から必要経費を除いたもので、これにより組合基礎たる準備金、特別積金への繰入れや役員報酬をおこなった。大正八年度末で準備金と積立金の合計が七二五円七七銭二厘となる。組合員一人当り九円三〇銭ほどで、事業運営基礎がようやくこの項、順調になったといえよう。信用購買販売組合の事業としての信用事業は、組合員の農業経営・家計等の資金融通、つまり貸付と組合員の勤倹貯蓄を奨励・促進することによって農家経済を確立し、もって農村自治と思想善導の実をあげることにあった。組合員への資金貸付による資金の利用目的は東小林(増林)の場合は、肥料購入資金、旧債償還、土地購人資金等に多く使用された。大正元~八年間の融資件数は四六五件、融資金合計約二万九〇〇円近く、一件当り四五円ほどである。一般に少額であるが、組合員一人につきこの間六回ほど利用したことになる。ただ有担保の融資は件数も少く、金額も相対的に高いが、この分を除外すれば一回当りの融資金はより低額となる。

第28表 増林村東小林信用購買販売組合組合員及出資口数
年次組合員数出資口数出資払込備考
大正元年度76132660
277133665
377133665組合員内訳 農業61,工業5,商業1,雑業10
477133665
579226758新加入2人2口以外,既加入の口数増加
679226944
7782261,130
8782261,130

(『増林各年度事業報告書』)

 組合員の東小林信用購買販売組合への貯金預入利子は六分から七分である。預入人数は、大正五年までほぼ組合員のすべてがこれをおこなったことになるが、その預入金額は二~五年にかけて低落する。大正三年の事業状況に「米価低落ト共ニ副業モ亦下落セシ」(「増林事業報告書」)とあるような状況による。貯金の払戻高も各年度末貯金高も、預入高と同様な傾向を示しているが、年度末貯金高の大正五年における下落ははなはだしい。大正六年以降は組合員貯金の預入高が伸び払戻高を凌駕した。年度末貯金高も安定し上昇する。しかし預入員数が減少しまた払戻員数も減少するのは、組合員の農家経営に安定と不安定という二層の分離が顕在化してきたことの反映ではないかと思われるが、ここではこれ以上明らかにすることはできない。

 東小林信用購買販売組合は大正七年に事業の基盤拡大のために東小林を増林と改称するが、信用事業は組合員の比較的零細な資金融通や貯金積立を内容とし、また日常的利用に供するものであった。組合合事業によって生じた余分な資産は銀行や県信用組合連合会に預金された。このように農村から零細ではあるが集積された資金が吸収される結果を信用購買販売組合事業はもたらしたのである。