蒲生村における信用組合の設立は多年の懸案であったが、発企者等の熱心な努力により大正四年に設立された。信用組合は村当局によって、「農村ノ各階級ヲ通シテ適切ニ其連繋ヲ保チ交互ノ円滑ヲ期スルハ刻下ノ最大急務ニシテ、而モ地方産業ノ発達ハ一ニ以テ其ノ部落ニ於ケル融通機関ノ潤沢如何ニ職由セサルハナシ……殊ニ現下一般ノ情勢ニ鑑ミ専ラ蓄積思想ノ涵養ヲ図リ、兼テ民力ノ充実ヲ助成セン」(越谷市史(五)四七六頁)とする認識によって、特に産業組合法の諸目的中の信用事業をおこなうものとして設立された。以後村落内における農民の零細な資金融通機関となった。その事業成績は第31表に示したとおりである。この表をみるに、大正五年から同十五年の間に事業成績は全体として発展を示している。貸付金は組合員の肥料購入・借財償還等の目的のために使われたと思うが、大正九、十、十一年を例にとると組合員一人当り六二円二八銭、七五円四七銭、九九円六銭と上昇をみせている。組合員の貯金高も一人当り、六四円七二銭、七三円四銭、七六円一四銭と僅かながらも増えている。借入金は増林と同様日本勧業銀行や越ヶ谷町の各銀行支店等からの借入金であろう。蒲生村信用組合はその事業を信用にかぎりまた組合員も全村規模で参加していることから、村落内の資金融通という目的はある程度成功しているとみてよいものである。それは準備金や特別積立金の一貫した増額傾向によってもまたうかがうことができる。
組合員数 | 出資金総額 | 同左払込額 | 準備金・特別積立金 | 借入金 | 貸付金 | 貯金 | 純(損)益 | |
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人 | 円 | 円 | 円 | 円 | 円 | 円 | 円 | |
大正5年 | 242 | 4,480 | 1,344 | ― | 160 | 1,742 | 1,532 | ― |
6 | 295 | 5,010 | 2,505 | ― | 3,000 | 4,357 | 3,770 | ― |
7 | 309 | 5,160 | 3,612 | 126 | 3,000 | 8,760 | 9,502 | ― |
8 | 318 | 5,250 | 4,725 | 420 | 3,000 | 11,007 | 13,066 | ― |
9 | 330 | 5,360 | 5,360 | 789 | 2,573 | 20,554 | 21,356 | ― |
10 | 335 | 5,410 | 5,410 | 1,072 | 4,119 | 25,282 | 24,467 | ― |
11 | 336 | 5,420 | 5,420 | 1,742 | 3,137 | 33,284 | 25,582 | 1,301 |
12 | 341 | 5,480 | 5,480 | 2,474 | 3,124 | 30,534 | 22,001 | 1,364 |
13 | 351 | 5,660 | 5,608 | 3,021 | 3,679 | 30,079 | 32,412 | 845 |
14 | 372 | 7,340 | 6,134 | 3,485 | 1,889 | 27,681 | 26,035 | 1,092 |
15 | 373 | 7,440 | 6,702 | 3,921 | 4,780 | 26,978 | 19,442 | 899 |
(大正5~15年「蒲生村村勢要覧」より作成)
なお組合員に産業資金の貸付や、生活・生産に必要な物品を購入する目的で、有限責任桜井村信用販売購買組合が設立されたのは、明治四十五年三月のことであり、大相模村信用組合が四十年七月、大袋村三野宮信用販売組合が四十四年十二月、荻島村信用販売組合が大正五年四月のことである。