葛西用水路の堰枠改築

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葛西用水路に附属する重要構造物のうち、当市域に所在するものには、大字増林の古利根堰と大字西方の瓦曾根堰がある。この両堰はいずれも十三河川改修に伴って改築されたものである。そのうち、古利根堰はもとは松伏溜井増林堰枠と称していたもので、最初の堰枠は、享保十五年(一七三〇)に木造で新設されたものであったが、明治四十一年に新規伏替を行い、枕土台下長一六間高六尺のコンクリート造りとなっていた。その後、埼玉県起業の大落古利根川改修事業にともない、この堰枠も改築されることとなり、大正八年十月に起工、同十年三月に竣工し、工費一三万八三一五円二八銭を要した。構造は鉄筋コンクリートで、大きさは、水流幅八〇尺、閘門(こうもん)幅一〇尺高一一尺で八門のストーニー式扉巻揚による近代的な堰枠となった。なお、この時古利根堰と改称されたのである。

 次に瓦曾根堰は、もとは松久と石堰の両構造物からなっていたが、大正十一年十二月、埼玉県起業にかかわる元荒川改修事業に伴って新造に着手されたものである。この時、寛文四年(一六六四)に造成された石堰と、用水水位の調節ならびに悪水排除に用いられていた松土手圦が撤去され、石堰の下流約九〇メートルの所に溜井を拡張して現在の瓦曾根堰が設けられたのである。その構造は鉄筋コンクリートで、大きさは水流幅一〇〇尺、閘門は幅一〇尺高九尺の一〇門で、ストーニー式扉巻揚による近代的な堰枠となった。その総工費は一二万六八四六円八五銭で、竣功期は大正十三年三月のことであった。

瓦曾根堰(「葛西用水路沿革史」より)

 なお、葛西用水路の管理者は、明治五年埼玉県の管掌下に置かれたが、同十三年連合集合規則にもとづいて郡長の所管に改められた。このうち管理者は、はじめ北・中葛飾郡長がつとめたが、同十七年南埼玉郡長に移り、大正十五年地方官官制の改正にともない再び埼玉県の管掌となった。次いで昭和二十七年、土地改良法にもとづき、葛西用水路普通水利組合の組織は、葛西用水路土地改良区と改められ、現在に至っている。