新方領堀の改修

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新方領堀は千間堀とも称され、新方村ほか二町六ヵ村、四三〇〇町歩にわたる耕地の排水幹線で、その流路延長約三里、増林村西川の元荒川に排出されていた。ところが、新方領堀はその幅が狭隘で、しかも河床が隆起して疏水の円滑を欠いていたが、なによりもこの流水を阻害していたのは、葛西用水路をくぐる伏越樋管の狭小なことであった。このため一朝豪雨に際しては、沿岸耕地の湛水被害は大きく、浸水面積は千数百町歩にも及んだ。

 よって埼玉県では国営の中川改修工事の完成と相俟って、用排水幹線改良事業の中に新方領堀の改修工事を新たに加え、大正十四年県会の可決を経、国庫補助をうけて昭和二年に工を起し、同八年十一月に竣功した。この改修工事の施工区域は、南埼玉郡川通村大字大戸の中野堀大貫堀合流点から同郡増林村大字中島の中川合流点に至る延長一万八〇七メートルの間と、その支川会ノ堀武里村大字備後の武徳川掛樋から桜井村大字大泊の新方領堀合流点までの延長二四三五メートルにわたる間であった。

新方領堀(新方川)

 この改修の竣功により、新方領堀の排水量は毎秒六六九立方尺、会ノ堀は一一二立方尺と増大し、流水の疏通はきわめて良好になった。この間本線の橋梁掛替二九橋、掛樋の架設替四ヵ所、伏越樋管の改築四ヵ所、排水樋管の改築八三ヵ所に及び、支川会ノ堀では橋梁架換七橋、排水樋管の改築四ヵ所に及んだ。これに要した用地面積は本線が一〇町五反二畝二三歩、支川会ノ堀が七反二九歩、総工費両堀合せて五二万一二〇五円であった。ちなみに増森新田から元荒川に落されていた千間堀落口は、この時模様替えとなり、中島の籠場から中川に落されるようになった。