大正デモクラシーの開花によって、国内には自由主義的思潮が浸透し、教育界にも多大の影響を及ぼした。すなわち、「新教育運動」がそれである。これは、明治末期よりみられたものであるが、従来の五段階教授法と異なり、子どもの個性を重んじた自学自習を提唱するものであった。こうした新教育運動に根ざした教育活動は本県下でも秩父郡長若村、野上町などをかわきりに各地で研究や実践が行われ、県下各地に広まった。
大正デモクラシーの社会思潮に対応して、また一方では「国民思想の善導」が行政上の重要課題となり、大正六年には臨時教育会議が設置され、「国民教育ノ要ハ徳性ヲ涵養シ知識ヲ啓発シ身体ヲ強健ニシテ護国ノ精神ニ富メル忠良ナル臣民ヲ育成」するとの根本理念が打ち出された。以後小学校から大学までの各学校の教育方針は、国民道徳の養成と国民精神を涵養すべきところに重点がおかれていくことになった。
右の臨時教育会議の答申に基づいて、その後小学校についてさまざまな改善が行われた。大正八年三月、小学校令施行規則の改正があり、理科を小学校四年生から課すように改めて科学教育を尊重し、地理および日本歴史の時間を増加して国民精神の涵養につとめることとした。また、高等小学校では、一般教科のほか実業科目と、土地の情況によって図画、外国語等が加えられることとした。これにより荻島尋常高等小学校高等科では農業、家事、図画の三教科加設を申請認可されている。
右により国定教科書の改訂が大正七年から始められた。すなわち、第三期国定教科書(大正七年~昭和七年)の編さんがこれで、この改善は第一次大戦後の内外諸情勢の変化に対応してなされたものであった。その内容は大正デモクラシーの思想的影響を受けているとともに、反面国民道徳の養成と国民精神の涵養が盛りこまれていた。「ハナ、ハト、マメ、マス」の尋常小学国語読本はこの期の代表的なもので、歴史についても日本歴史を国史と改め、尋常小学国史、高等小学国史とに分けられた。