昭和初期の農業恐慌に直面し、政界の腐敗に失望した人びとの政治不信はいよいよ昂まった。この民衆の意をうけて、南埼玉郡町村長連合会は昭和四年、衆議院に対し、「帝国議会現時ノ醜体ハ、国民ノ見ルニ忍ビザル処」として警告書を発した。このなかで「今ヤ衆議院ニ於ケル議員ノ行動ハ憲政史上未ダ嘗テアラザル闘争ヲ演出シ、論議ハ搏撃トナリ暴力ト化シ」などと述べ、議員の反省を求めている。
また昭和七年、南埼玉郡潮止村長は「農村不況に対する我観と其打開案」(『治本会会議録』)を示しているが、当時の農民の不満を適確に吐露したものと思われるので、その要旨を次に掲げる。
(1)政治については、都会を優先した施策に走り、交通運輸にのみ重点を置いて、農村の教育や医療施設を省みようとしない。
(2)教育については、都会を対象として、功利と空想の教育に偏重している。このため農村の子弟は都会に憧れ、農を商・工の従属として軽くみるようになった。
(3)税制については、農村は都会にくらべ、その負担はきわめて重い。しかも商工者は実業家と称され、政府企業の請負や公債の売買などで爵位を授かり、また貴族院議員の恩典に浴するが、農民はこの恩典にあずかるのは稀である。
(4)町村吏員については、国や府県にかかわる事務から、はては村内の夫婦喧嘩の仲裁まで掌っているが、その地位は小学校の教員よりも軽視されている。しかも町村吏員の上には監督官として、大臣・知事・聯隊区司令官・裁判所・警察署長などが君臨し、各々独自の指示や要求をつきつけてくるので、吏員の自主的な勤労意欲はまったくかげをひそめてしまった。
(5)政党に関しては、各政党とも党利党略に走り、しかも党勢拡張のための熾烈な運動を展開し、醇朴な農村人を著しく傷つけている。学校・道路・衛生・消防・勧業などの施策には、党臭紛々として救いようがない。
(6)したがって農村振興は、町村自治の強化によってのみ達成される。産業組合を充実し、低利資金の貸付方法を改正し、一時助成金の交付を行い、かつ生産価格の調節に努めることが、疲弊した農村を救済する唯一の方途である。
とこれを訴えていた。