実科高等女学校の県立移管問題

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昭和二年に一部税法の改正があり、町村税は定められた国税付加税、県税付加税のほか、町村独自の条例による特別税が設けられた。この特別税は戸数割と反別割に分けられていたが、多くの町村は戸数割徴収に一本化されていた。このなかで越谷周辺地域では越ヶ谷町の税率がもっとも高く、たとえば昭和五年度一戸あたり平均の各町村税額をみると、第38表のごとくである。このため越ヶ谷町民は町民税の重負担に不満を持ち、町政への批判が高まりつつあった。

第38表 昭和5年度町村特別税額
町村名 税額
円 銭
越ヶ谷町 24.63
出羽村 14.75
荻島村 12.50
増林村 8.40
八条村 7.00
大相模村 7.00
新方村 7.00
八幡村 7.00
潮止村 6.50
大沢町 5.98
蒲生村 5.50
桜井村 4.60
川柳村 4.00
大袋村 3.30

 こうした際、町立越ヶ谷実科高等女学校の県立移管問題がもちあがった。この越ヶ谷実科高等女学校は、既設の越ヶ谷実践女学校を廃止して設けられたもので、昭和三年四月に認可され、越ヶ谷尋常高等小学校に併設されていた。実科高等女学校の設置理由は、「越ヶ谷町は埼玉県東部の中心地として農産物の集散額、年と共に増加し、商業日に隆昌をみるにしたがい、町の富力も次第に充実してきた。このときにあたり、一般家庭の教育に対する理解も深まったが、ことに女子の向学心は高まり東京に遊学する者が増加している」との趣旨により、越ヶ谷町に修業年限本科二年、補修科一年の実科高等女学校を設ける必要があったとしている。

 だがこの越ヶ谷実科高等女学校の設置は、すでに県立移管をねらった県立高等女学校誘致の布石であったようである。すなわち同年七月、越ヶ谷町長は、南埼玉郡行政事務会連合会で、昭和四年度を期し、越ヶ谷町に県立高等女学校の設置を要請し、連合会町村長すべてが県立女学校の設置委員となり、誘致運動の展開に協力することを決議していた。この結果県立高等女学校の越ヶ谷誘致は同年十二月の県会で可決された。これをうけて越ヶ谷町議会においても翌四年七月、越ヶ谷実科高等女学校の県立移管条件として、校地五〇〇〇坪の取得と校舎建設資金計一二万七七二九円の追加予算を計上、これを埼玉県に寄付することを可決した。

 しかしこの県立高等女学校誘致に必要な資金のうち、一二万一七九一円は、町民の寄付金によって調達されることになったが、寄付金徴収は不況下の生活困窮と町長への不信感から町民の猛反対にあって挫折した。この間町長は一時借入金をもって越ヶ谷町字二番地の田畑五〇〇〇坪を取得、翌五年二月この地を県立越ヶ谷高等女学校の敷地に寄付するための採納願いを県に申請、同年三月十二日に許可された。