昭和十三年七月一日、国民健康保険法が公布された。越ヶ谷順正会もこの法律にもとづいて準備を整え同年七月、越ヶ谷順正会国民健康保険組合の認可申請書を県に申請した。ところが診療報酬をめぐって医師団との意見が一致せず、保険組合の指定は大幅に遅延した。この間組合設立発起人代表と医師団との折衝が続けられようやく修正仮契約書が取交わされて同年九月一日、全国で二番目の国民健康保険指定組合として発足をみた。
この組合規約によると、保険料は組合員の所得に応じ、第一級から第二〇級に分かれ、毎月の徴収額は最低三〇銭から最高七円までの格差が設けられている。また事業計画によると組合員数は町民の八割にあたる七五〇世帯四二〇〇人を予定し、保険料収入を年額一万一一八四円、療養給付費を一万六七〇〇円と見込んでいたが、組合員数は第39表のごとくである。ちなみに当組合昭和十五年度の収支予算をみると、収入が一万九五〇七円、このうち保険料が八九一四円、国庫補助金二二〇〇円、越ヶ谷町補助金三〇〇円、財産収入三六五円、寄付金八三円などとなっている。一方支出は同じく一万九五〇七円、このうち医療費が一万六八一一円、職員俸給一六〇四円、需用費一五五円、電燈料などの雑費五五円、予備費八二〇円などとなっていた。
年号 | 組合員数 | 被保険者数 |
---|---|---|
人 | ||
13 | 454 | 2,192 |
14 | 406 | 2,080 |
15 | 356 | 1,846 |
16 | 708 | 3,459 |
ついで越ヶ谷順正会国民健康保険組合は、組合員の離脱による組合発達の阻害を恐れ、相扶共済の精神にもとづく任意組合制を改め、保険法第一三条による有資格者の強制加入を適用、昭和十六年六月、その名も越ヶ谷町国民健康保険組合と改めて新たな発足をみた。
なお出羽村・増林村などをはじめ各村も翌十七年から国民健康保険組合を結成、診療所を設置して医療の充実をはかるところもあった。