越ヶ谷町公益質屋

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大正末期から昭和初期にかけて続いた不良銀行整理による金融恐慌のあおりをくい、越ヶ谷町で唯一の銀行であった中井銀行越ヶ谷支店は昭和二年に閉鎖されるに至った。その後川崎第百銀行の支店が越ヶ谷町に進出したが、不況に喘ぐ一般庶民の金融機関は、法的に保障のない頼母子無尽か、高利営業の質屋に頼るほかなかった。

 こうしたときに、越ヶ谷町では昭和七年から公益質屋の設置を計画し、その準備を進めたが翌八年、越ヶ谷町公益質屋条例が認可され営業が開始された。この公益質屋とは、市町村あるいは公益法人が質屋を経営するもので、貸付利率は一ヵ月につき百分の一・二五以内、質流品の処分は入札競売によるが、売却代金が元金・利子・手数料を超過した場合は、残金を質置主に返却するという仕組みで、元金及び利子のほか質置主からなんらの利益を得てはならないことになっている。つまり庶民にとってはきわめて有利な金融機関であった。

 ちなみに越ヶ谷町公益質屋昭和九年度の貸付額当初予算は、一万九六四〇円であったが、実際の支出決算額は五〇五〇円、同十年度が三四〇〇円、同十一年度も三四〇〇円で、その利用成績はかならずしもよいものではなかった。しかし昭和十二年度からは庶民の間に定着したとみられ、貸付決算額が二万一八四五円、これに対し回収貸付額が二万三八〇四円という好成績をおさめていた。なお回収金が貸付額を上まわっているのは、前年度分の貸付回収が含まれたからである。