農家の反当り所得

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南埼玉郡南部町村会では、各年度における田一反あたりの所得標準を協定しているが、これを昭和二年度でみると次のごとくである。この年は不作年であったので、自作田平均一反当りの収穫高を玄米一石八斗とし、この売却代六一円五七銭、それに藁一三〇〇束の代金四円三三銭、計六五円九〇銭が一反当りの収入であった。

 これに対し必要経費は、種籾四升代金にして八〇銭、魚粕・大豆粕などの肥料代金一一円、雇人給延七人で七円、同食費五円二五銭、農具費一円五〇銭、俵装費二円二五銭、農馬などの雑費五円、公課(諸税金)九円、計四一円八四銭が支出で、差引金二四円六銭が自作農一反当りの純所得としてこれを標準に示している。

 また地主の標準所得は、小作料八斗三升の穀代金二八円三九銭から公課九円と雑費一円を除き金一八円三九銭の所得、小作の所得は、自作田の収益二四円六銭に雇人給と公課金合せて二一円二五銭を加え、これから小作料穀代金二八円三九銭を除き、一六円九二銭が小作田からの所得とみていた。

 これが、経済恐慌のもっともはげしかった昭和六年度を例にとると、反当り収穫量玄米二石二斗、この穀代金三七円四〇銭と異常な米価の暴落ぶりが窺われる。これに藁一五〇〇束の代金三円を加え、計四〇円の収入が一反あたりの総収入である。これに対し経常支出は肥料の一一円をはじめ公課の八円五〇銭など合計三一円三三銭で純所得は九円七銭に落込んでいる。これにつれて地主の所得も五円九五銭、小作所得は六円二四銭とそれぞれ低落している。

 経済状況が幾分もち直した昭和九年度では、反当り収量玄米二石二斗、この代金は四七円三〇銭で米穀代が少し上昇しているが、公課は七円六五銭、肥料は八円五〇銭と逆に減少をみせている。ことに肥料は自家肥料などによる施肥の自粛によるものであろう。また小作では、自作田所得二一円九二銭に公課七円六五銭を加え、これから小作料八斗五升の穀代金を除いた一〇円八五銭が小作農の所得とみていた。概して小作田は、自作田や地主田からあがる所得よりも、年々その所得率が下っているのが特徴といえよう。

 なお畑一反歩あたりの所得は、昭和十年度を例にとると、自作が一〇円、地主が六円、小作が同じく六円が平均の標準となっていた。

第41表 年次別田1反当り所得の推移
年度 自作 地主 小作
昭和2年 24.06 18.39 16.92
〃 3年 20.26 14.67 13.99
〃 5年 12.14 10.05 10.59
〃 6年 9.07 5.95 6.24
〃 7年 16.37 8.50 7.89
〃 9年 21.92 10.62 10.85
〃 10年 23.23 13.95 9.23
〃 11年 24.57 14.56 10.00