全村学校運動

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昭和五年九月、埼玉県は各市町村に対し「郷土に即したる綜合的なる社会教育施設を行い、町村民の品性を陶冶し知能を啓培し、特に協同の美風愛郷精神を涵養して道徳経済の融合進展を期し、町村更生の実を挙げ、共同の福利を増進」するを目的とし、全村学校運動の展開を提唱した。県の指導による開設期間は、同年四月から翌年三月に至る一ヵ年であるが、第二年度からは町村自治体がこれを継続して町村振興の貫徹に努めるとされている。

 この中枢機関は、市町村当局や議員・区長などで構成される自治行政方面、学校の当事者や在郷軍人分会・青年団などを中心とした教育方面、農会や産業組合などの幹部を主体とした産業方面とに分け、それぞれから理事や委員を定めて構成するとなっている。

 そしてこの要項は、(1)国家観念の確立、敬神崇祖の顕現、生活信念の確立、研究努力の気風作興を掲げた国民精神の作興、(2)立憲自治精神の涵養、政治経済思想の養成、郷土愛や社会共同精神の鼓吹、団体行動の訓練をうたった公民教育の徹底を掲げていたが、これに対しては「如何なる良い施設も、これに関係する町村民が利己的個人主義の偏見を捨てゝ、生活信念を確立し郷土愛に燃え研究努力の気風が作興しなければ駄目である。従来町村に有益なる施設がうまく行かないといふのは、全く精神的基礎が出来て居ない為である。故に全村学校に於ては」この点をもっとも強調するといっている。

 また(3)産業振興に関しては、産業の合理化、副業の奨励、一人一研究の指導、産業組合の利用、その他となっており、これに対しては「前に述べた様な精神的修練を基礎にして、産業の指導振興に努めんとするものである。ただ産業奨励するだけでなく、生活信念に立った産業研究である。しかも全町村民一体の気持でやらうといふのである。かくて教育と産業、道徳と経済との融合は期せられる」としている。さらに(4)生活の改善を掲げ、無駄の排除、時間の励行、家庭経済の合理化、台所の改善、冠婚葬祭の改善を挙げている。さいごに(5)体育保健の向上として、衛生思想の普及や体育の奨励を掲げていた。

 この全村学校運動は、不況下にある各町村でどのように展開されたかつまびらかでないが、おそらくこの運動は後にひろく展開された自力更生運動につながっていくものであったろう。