昭和七年九月、埼玉県会で議決された不況対策応急施設費、農村振興耕地拡張改良事業のなかに開墾事業も含まれた。この事業はその性質上工事費の大部分が労力費であったので、農家に賃金収入を与え、かつ将来の生産増強の一助ともなるもので、農村救済の適切な事業として力を入れた一つである。
県はこの小開墾事業の実施通達のなかで、開墾の定義を示したが、これによると(1)山林・原野・池沼・雑種地を田畑にする。(2)畑を田に地目変換する。(3)荒廃した田畑を良田良畑に復すとなっており、小開墾とは五町歩以下の開墾であるとしている。この小開墾に対する県費の補助は、工事費の五割を支給することにされたが、就労者一日一人あたりの賃銭は七〇銭と定められていた。
このため数多くの農家は小開墾事業の申請を行なったが、なかには荒地や原野山林の所有者が多数の人員を雇って開墾させた場所もある。たとえば出羽村七左衛門のある地主が、七〇円の賃銭をもって一一名から一二名の就労者を動員し、二月二十七日から三月十四日までの一〇日間の作業でこれを完工させている。この就労者の延人員は一二〇名、総人夫賃は八四円である。これに対し県では査定のうえ三七円三六銭の補助金を交付した。
なお補助金の交付では、一人で二〇五円八五銭の支給をうけた地主もあり、出羽村昭和八年度だけで、二町二一歩の荒地や山林が開墾されていた。