昭和七年五月に成立した斎藤実内閣は、不況下にある農村の救済を重点政策にかかげ、農林省に経済更生部を新たに設置して農村更生の諸施策を進めた。この諸施策のなかには救農土木事業など政府による直接援助も広く行われたが、農村自身が不況を克服するための自力更生運動の積極的な展開もその一つであった。
この運動達成のため、埼玉県では昭和七年度から五ヵ年間、年度ごとに三〇ヵ村を農村経済更生計画樹立町村に指定し、県から補助金を交付してその事業を奨励するとともに、その成果を他の町村に波及させようとした。越谷地域でこの農村経済更生計画樹立町村に選定された村は、昭和七年度に荻島村、同八年度に大袋村と増林村、同九年度に出羽村、同十一年度に新方村がある。
こうした農村の自力更生運動は、すでに明治期の地方改良運動、大正期の生活改善民力涵養運動と一連のものであり、さらにこれを発展させようとしたものである。すなわちこれらの運動は、一貫して生活の改善、勤倹力行、財産の蓄積、生産の高揚などを揚げ、「村ぐるみ」による諸事業を通じて農村自治の振興をはかろうとしている。