次に昭和八年度の経済更生計画樹立町村に指定された増林村における同九年三月の計画樹立書によると、増林村の総戸数は六七九戸、内農家戸数は全体の八割六分にあたる五六五戸である。耕地は水田三六四町歩、畑二九町歩で一戸当りの所有地は一町歩余である。米・麦・蔬菜の生産を主業とし、昭和八年度の農家現金収入は二八万四〇〇〇円、現金支出額は農業経営費と家計費を合せ二七万九〇〇〇余円、負債総額は一九万六二〇〇円、貯金総額は一七万三〇〇〇円である。このうち産業組合取扱いの貸付額は三万五〇〇〇円、預金額は四万二〇〇〇円であり、順調な発展をみている、と当時の増林村の現況を報じている。
そして更生計画としては、自立更生精神を作興させるため、小学校・公民学校・青年訓練所で実務的な訓練をほどこし、更生精神の高揚をはかる。青年団に産業部を設置する。研究会・講習会・講話会を開催するなどを挙げている。
生産統制計画では、主要食料農産物に対し、優良品種の普及統一、深耕の奨励、病虫害の駆除予防、肥料の合理的施用などを挙げ、園芸農作物に対しては、その生産統制の強化をはかるとしている。
また栽培面積を増大して増収をはかる品目は、葱・茄子・馬鈴薯・漬菜・一寸蚕虫・蕃茄・菠薐草を挙げ、それぞれ五年後の増収計画をたてている。宅地の利用では、蕗・桃・梅の拡大栽培を計画し、畜産では、自給肥料の増産と、金肥の節約にかかせないものとして養鶏は一戸あたり三〇羽以上、養豚は同じく一頭以上の飼育に努めるとなっている。しかも養鶏一羽当りの年間産卵数は二〇〇個以上、飼料は一羽あたり一銭以下にするとしている。自給肥料の増産では、紫雲英を栽培し、野草の刈取を励行する。蔬菜の自給計画では、茄子・胡瓜などの栽培に努め、五年後にはその生産量を需要量より上廻らせるとしている。因みに当時の増林村の茄子の需要量は、年間五八万個に対し、生産量は八万七〇〇〇個、胡瓜は五万七〇〇〇個に対し一万五〇〇〇個と、需要がはるかに生産を上廻っていた。
このほか農産加工計画として醤油味噌の増産をはかる。すなわち現在の生産高醤油三〇石を五年後は一〇〇石とし、味噌二六五石を四〇〇石にする。逆に生産過剰、需要減退の藁工品は、丸縄を除いて醤油縄や莚などを生産調整すると述べている。また生産物販売購買の改善計画では、主要食料の販売、飼料・金肥の購入は、信用販売購買組合を統制主体とし、できる限り組合で取扱うようにする。園芸農産物の出荷や糞尿の購入は農会を通じて行うとあり、それぞれ年次計画をたてている。さらに生活改善計画では、被服費・交際費・冠婚費などの消費を年次的に節約していき、五年後の節約金の目標を示している。
しかしこれらの計画は、諸般の事情から必ずしも計画通りには運ばなかったようである。このため昭和十一年度に経済更生計画樹立町村に指定された新方村における同十二年の更生計画書には、具体的な数字を掲げた年次計画を載せず、大まかな見とおしだけを記していた。すなわち当時の新方村の概況は、総戸数三五一戸、このうち八三%にあたる三〇〇戸が農家である。うち農家総数の二〇%が自作農、三六%が自作兼小作農、四四%が小作農である。人口は二〇六七人で一戸当りの人数は五・九人となる。
土地は田が三〇三・六町歩、で一戸当りの所有は平均一町余、畑は一〇〇・四町歩で同じく三反三畝歩、山林は四・三町歩、其の他三九・三町歩である。主な販売生産物は米・麦・蚕であり、現金収入は一戸当り農業五二四円、その他二一七円で計七四一円、支出は農業一七八円その他五五七円で七三五円、差引五円の黒字とある。預貯金は一戸当り平均九七円、貸付金は七四円、負債額は二八九円である、と現況を記している。
次に経済更生計画の概要として、部落常会の定期開催等を定めた統制部、生活改善を普及させる教化部、裏作の奨励・肥培管理の改善、畜産の向上、副業の増大等を掲げた生産部、主要食料・園芸作物・副業製品の増収、肥料・飼料の購入統制、金融改善、負債の整理などをうたった経済部を設定し、それぞれ合理的な更生をはかるとしている。