埼玉米

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埼玉米は大正四年からの米穀検査実施以来、米穀の改良に努めた結果、東京市場で声価を高めてきた。ところが昭和六年東京廻米問屋組合主催の各県移出米品評会では、関東地方六県の三等米をとってみても、その成績は第44表のごとく第五位に転落していた。この審査概評によると、「関東地方トシテ優秀ナノハ千葉、次デ茨城デアル。其ノ次ガ栃木カラ群馬・神奈川ノ順位デ埼玉ガ最下デアル。(中略)埼玉県産米ハ他県産米ニ比シ劣ル計リデナク年毎ニ品位後退シテ行ク傾向ガアル」と評している。すなわち埼玉米は関東地方でもっとも劣っており年ごとに品位が後退していると酷評されている。

第44表 昭和6年米穀検査結果(3等米)
県別 品質 乾燥 調整 色沢 粒形 点数
茨城 7.0 8.0 8.0 8.0 6.5 37.5
栃木 7.0 7.0 4.5 7.5 7.0 34.0
群馬 7.0 7.5 6.5 5.5 5.5 32.0
千葉 7.0 6.5 6.5 7.0 5.0 32.0
埼玉 6.5 6.5 5.5 7.0 5.5 31.0
神奈川 5.5 7.0 5.0 5.5 5.0 28.0

 この品評会の成績結果をみた蒲生村では、『蒲生村時報』のなかで、「実に情けない事ではありませんか、お互農家は左記の廉々に協力一致して更に一段の改良を加へ、是非にも昔日の埼玉米の面目を挽回することに努力致しませう」と呼びかけ、声価発揚の要点として、(1)品種の統一、(2)早刈の励行、(3)籾の薄干、(4)屑米の排除、(5)堅固な俵装などを挙げていた。

 埼玉県でもこれに対処し、翌七年五月穀物検査制度を改正し、よりきびしい検査基準を設けた。この検査制度の改正にともない、小作米受授に関する奨励米も変更されたが、蒲生村では地主会を開き、小作米麦のうち一等米に対する給与は、一俵につき三升、一等麦も同断、二等米は二升五合、同麦は二升、三等米は二升、同麦は一升、四等米は一升、同麦は零、五等は米麦とも零、等外米は逆に一俵につき一升ないし三升の増量、麦は二升を徴収すると定めている。しかも俵装に対する補助はしないとあり、小作農の負担は検査制度の改正でさらに増大したのは確かである。

 なお農業関係日傭人の労銀は、昭和六年の蒲生村地主協定によると、代掻が人夫一日あたり金一円、賃じろ(請負カ)一反歩あたり金一円二〇銭、田植は男一日金六〇銭、女五五銭、その他五月一日から十一月末日までの農作業は、一人一日あたり金四〇銭から五〇銭、十二月一日から四月末日までは一人一日あたり金三〇銭から四〇銭と定めていた。