青年訓練所

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大正十五年四月、青年訓練所令が勅令によって制定された。この訓練所開設の目的は、第一次世界大戦後における軍備縮少の世界動向に対処し、国防力の減退を補充するため、青年に軍事教練をほどこすことを主眼としたもので、軍部の強い要請によるものであった。

 この文部省通達をうけた各町村では、同年六月から七月にかけて、従来の公民学校に青年訓練所を併設していった。この間の事情を桜井村の通報によってみると、「七月一日ヨリ日本全国各町村ニ青年訓練所ガ設置サレ、満十六歳以上満二十歳以下ノ青年ハ、全部ソノ居住スル町村ノ青年訓練所(小学校内)ニ入所スルコトニナリマシタ。訓練所ニ於テハ、農閑ノ時帝国臣民トシテ欠クベカラザル学科ヲ授クルト同時ニ、剛健敢為ノ気象ヲ養ヒ、兼ネテ国民皆兵ノ実ヲ挙ゲンガ為メ軍事教練ヲ行フノデアリマス、青年訓練ニハ一ツノ大ナル特典ガ与ヘラレマス、其ノ特典トハ青年訓練修了者ニハ、ソノ成績考査ノ上在営年限ヲ一年六ヶ月ニ短縮サレルコトデアリマス」とある。すなわち入所資格者は満一六歳から二〇歳までの青年で、訓練の修了者には考査のうえ、現役兵在営年限二年のうち六ヵ月短縮の特典が与えられていた。

 実習科目は、各個教練・部隊教練・陣中勤務・旗信号・距離測量・軍事講話となっており、教練指導員は在郷軍人、または学校配属将校などがこれにあてられた。このほか学習では国語・数学・歴史・地理・理科、それに農業などの科目が設けられていたが、これらの指導員は、たとえば桜井村では在郷軍人三名、実業補修学校(公民学校)教員一名、計四名の構成であった。この訓練状況を昭和七年度の「学事年報」でみると、訓練日数は二八日延一一四時間、生徒の出席率は四二%、訓練日は地方の休日をあてて昼間実施、十二月四日四三名の生徒が陸軍歩兵中佐の査閲をうけたが、その講評は良好だったとある。