越ヶ谷幼稚園の推移

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大正十三年三月、日本キリスト教団越ヶ谷教会は、教会堂内に私立幼稚園の開設を埼玉県に申請、同年四月認可され、五月十二日開園した。この私立幼稚園設立許可申請書によると、園児は満三歳から小学校入学までの幼児を収容、保育時間は毎日四時間、四月一日から九月末日までは午前八時より十二時まで、十月一日から三月末日までは午前九時から午後一時までとなっており、保育課程は二年保育三年保育を通じ、談話・手技・唱歌・遊戯の四科目となっていた。また入園料は金一円、保育料は一ヵ月金一円、ただし保育料については一家より二名以上の入園者があった場合は、一名を除き他は半額と定められている。

 当時幼稚園は公立・私立を合せ、埼玉県では一二園に過ぎなかった。もちろん越ヶ谷では初めての開園であったので、人びとの関心は高く定員六〇名のところ入園申込者は七〇名に及んだ。しかし実際は、卒業まで在園を続ける児童は少なかったとみられ、たとえば昭和四年現在までの卒業児は六五名、在園児は三〇名であった。なお越ヶ谷教会は昭和二年、草加町にも幼稚園を設置したが、これを草加幼稚園と称した。

 はじめ越ヶ谷幼稚園は、大正十三年五月、越ヶ谷停車場前通りに新築された越ヶ谷教会堂内に設けられた。ちなみにこの教会堂の偉容を、『二六新報』四月二十九日付全国版の記事でみてみると、「埼玉県一帯に古来から仏教寺院建立の歴史が少く、従って今日に於ても甚だ稀で、殊に真宗寺院の少ない事は全国随一である。処がこれに反してキリスト教がその住民の中に割合に多く了解されていて、八十歳以上の信者並に理解者が多い事は一寸変った現象と云うべきである。しかして更に面白い事には、キリスト教の会堂の建立で、ついこの程まで会堂建立の運動もなく、僅かに微々たるものが二、三しかなく、多くは家庭に集まって礼拝して満足している程純な信者が多いのであった。処が今回埼玉県越ヶ谷町に二万数千円の金を集めて立派なキリスト教会堂が出来上った。それは日本キリスト教会派の牧師、長尾丁郎氏が奮起して全部を信者から拠金せしめ建立したもので、東武線越ヶ谷駅に下車すると、異様な形で町から頭を出して居る建物がそれである」とこれを報じていた。

 当時越ヶ谷教会の活動は活発で、賀川豊彦や河合道子などの有名人を招き、しばしば新教会堂で講演会を開催していた。ところがこの偉容を誇った教会堂は、昭和四年十二月二十五日のクリスマス祝会の最中、ストーブから失火、会堂は半ば焼失した。このため越ヶ谷教会は新たに越ヶ谷御殿町へ新教会堂を造成して当所に移転した。これにともない幼稚園も御殿町に移り現在に至っている。なお長尾牧師は昭和十三年鳩ヶ谷町有志の要望に応じ、鳩ヶ谷幼稚園を設立して当所の園長も勤めていた。