土屋文明と越谷

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昭和十年八月、歌人土屋文明は、大相模村東方字道免と見田方落井にまたがる蓮田の花盛りを鑑賞するため、見田方の旧家宇田家を訪れた。宇田氏は短歌「アララギ」派の熱心な愛好者で、土屋氏とは知合いの間柄であったからである。

  君が家をかくめる水をめぐり行きて 真昼鎖せる家に君を訪ふ

  蓮の花見むと来りて思ひいでぬ 此所にをみなの友住むことを

  尾長鳥竹の林にしきりにて 曇はあつし ふるき家の庭に

こうして宇田家を訪れた土屋文明は、その家のたたずまいを歌に詠んだ後、案内されて蓮田に向ったが、途中の状影をまた歌に詠んでいた。

  みなぎらひ逝く用水に 榛の木の青き枯葉の散りやまなくに

  かぎろひの いきほふ青田に鳴きいでて 水鶏のこゑのあやしくやみぬ

  靴もちて 水渡りゆきぬ立ちし鳥 かる(かる鴨)は首毛の見えつつぞ飛ぶ

  群りて 浮ける鯉の子を ねらひ寄りて取りし蛙の立ち游ぎつつ

  鯉の子の 散りてゆければ岸に居りし 猫はゑぐの葉のとんぼにかかりぬ

当時の大相模の田園風景がよく偲ばれる思いである。そして蓮田では、

  遠々に 風に吹かるる花見れば 心あくがるそのくれなゐに

  青みどろ くれなゐの花にせまる如く 崩れしはなの沈みあへなく

  紅は はやくかげりてしろはなの はちすの花の玉とかゞやく

  夕かげに 茂れる蓮を掘り立てて 香しき葉を抱へ出しぬ

の歌を詠んでいた。

土屋文明の歌賛

 なおこの大相模の蓮田は、栽培された蓮でなく、広い沼地に自然に生育したもので、近辺の子供らは冬になると、沼地の乾くのを待って蓮の実拾いに出かけるのをこのうえなく楽しみにしていたという。現在この蓮田はほとんどなくなってしまったが、見田方落井にわずかに残って昔の俤をとどめている。(見田方宇田美智氏提供)