スポーツと娯楽

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町場では、国技館の本職力士を招いた相撲興行が行われることも珍しくなかった。ことに昭和八年二月、大沢町グラウンドで開催された越ヶ谷町八幡講主催の相撲興行には、当時人気の絶頂にあった横綱玉錦、大関武蔵山をはじめ、東西両力士三〇〇余名が参加した大興行であった(『東京朝日新聞』)。

 このほか野球も盛んで、しばしば草加町のチームなどと試合を行なっていたようである。このうち『東京朝日新聞』によると、昭和七年十二月、越ヶ谷文化グラウンドで、越ヶ谷対住吉(草加)の第三回野球試合が行われたが、このときは審判の件で住吉側が試合半ばで試合を放棄、九対〇で越ヶ谷チームが優勝している。

 また戦時中には、出征軍人遺族慰問という形で諸興行が行われているが、昭和十七年二月には、越ヶ谷停車場通りに小屋掛けした岡田サーカスの一大興行が開催された。