年中行事の推移(二)

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村祈祷  七月九日で、モライギトウともいう。増森の行事。前の晩にきつく太鼓を締めておき、若衆連中が大勢集り、小太鼓四個大太鼓二個の六人一組を二組つくり、全村を廻った。一軒ごとに「観音経をたたいて」廻り、振舞を受けた。終って御祈祷をあげたが、それをゴキハライとよんだ。この「観音経」は普門品供養ともいい、近年まで市域各部落で行われていた。

 カマノクチ  八月一日を三野宮でこう呼ぶ。小曾川ではカマノフタアケという。墓掃除をしたり念仏をしたりする。蒲生では前日(七月三十一日)がハカナギ、すなわち墓地の草を刈って道つくりをする日ときまっていた。また新盆の家へは八月一日夜の明けぬうちに近隣・親類が来て高灯籠を作った。たね油で一晩中灯すものであった。

 棚念仏  八月十四日で、念仏講(念仏仲間)の老女たちが新盆の家へ行き、鉦太鼓で念仏を唱え、下間久里では七番まで唱えるという。

 クンチ  十月九日(旧暦では九月九日)、小学一年生から上は一三、四歳までの男児が、前もって灯明銭といって一銭~五銭位もらって歩き、灯明の油やろうそくと菓子とを買って、数日間鎮守とか堂・庵とかにこもる。夜になると各家で強飯・煮しめを作り(子どもの居ない家も)子どもたちのこもっている処へとどける。

 神送り・神迎え  十月三十日は荒神さまが(砂原では「土間の神さま」が、という)出雲へお立ちになる日で、尾頭つきの御馳走や団子(みやげ団子という。三十六個だという処もある)を荒神に供える。神迎えの十一月三十日には、増森では、砂を盆に盛り熊笹を立てて、団子とともに荒神に供える。砂は荒神さまが足を洗うためのものだという。

 ルスイギョウ  十一月十四日で、神さまのお留守の間にうまい物を作って食べるという。増森では、荒神さまの不在の間、留守居をしている神様にご馳走することだという。キョウは饗であろう。

 エビス講  十一月二十日で、一月二十日の商人のエビス講に対して農家のエビス講という。西方では、家の主人がエビス様に向って人間に話すように話しかける。「どうもおそまつ様でした。今年の作柄は……。それでは買いましょう。(どんどん値をつりあげ)百万円で買いましょう」と。そして手をたたき、エビス様を買ったことにして供え物を下げる。この供え物は女の人が食べると髭が生えるといって食べさせない。