開帳・縁日の推移

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開帳・縁日の類でもっとも盛大なものは、西方の大聖寺不動尊と、野島の地蔵尊とである。西方に残った記録「諸願届書控之帳」によると、明治八年七月二十七日から五日間、「東京府第七大区二小区南品川宿拾二番地寄留曲馬俳優渡辺捨次郎」ほか廿八名を雇って大聖寺境内で曲馬興行を催したが、非常に好評であったため、なお引続き八月一日から五日間延長興行を申請している(西方村の田代安太郎・大聖寺住職真嶋戒信・副戸長・戸長の四名の申請、県知事宛である)。このサーカスたいへんな人気となったと見え、これでも納まらず、さらに八月十五日から五日間の日延べ興行をしたようである。入場料は大人五銭、小児半額で、この興行につき「小屋掛曲馬興行賦金」を三円(十日間二円、五日間一円の合計額)県庁に納入している。大聖寺不動の開帳は九月四日(旧暦は八月四日)であったから、これは開帳そのものとは無関係だが、ここの毎年の開帳と市(いち)のにぎわいとが、こうした興行をもこの地に於て大成功させることになった原因である。

 この不動では同じ八年の七月四日には百万遍を行い(副戸長から第弐区区務所と第弐区邏卒屯所とに届出ている)、九月十一日から七日間、粕壁宿真蔵院に出開帳を行なっている。なお埼玉県粕壁支庁がこの申請に許可を与えるに当り、「博奕ハ勿論喧嘩口論ナキヨウ取締」をする旨の主催者請書を提出させている。