旅芸人・旅役者による小屋掛の演芸のみが見られた越谷の地に、はじめて劇場が出現したのは大正十四年一月元日であった。大沢一丁目の「東武劇場」がそれで、二階建、花道・廻り舞台つき、平土間と桝席とがあり一〇〇〇人を収容できた。経営者は今となっては不明だが、株主は東京本郷の結城力太郎という人が七〇%、大沢の荻野磯五郎が三〇%であった。荻野は大沢町役場の兵事掛であったが、演芸好きで有名だった。開業のこけら落しには、東京から歌舞伎役者をよび「勧進帳」を演じたが、以後平常は旅役者による草芝居式のものであった。
これも映画が進出してくると(越谷の人びとは浅草へ出やすかったから映画を見る機会も多くなっただろう)、時代の波に勝てず、昭和十二年からは東武劇場も映画館となってしまった。