大政翼賛会の発足

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昭和十五年十月、第二次近衛内閣は、戦時下政府の協力体制を、精神面ばかりでなく、上意下達という行政面からも強力に押し進めるため、大政翼賛会を発足させた。この翼賛会の成立にともない、各市町村に配付された「大政翼賛会実践要綱」によると、

  今や世界の歴史的転換期に直面し、八紘一宇の顕現を国是とする皇国は、一億一心全能力を挙げて天皇に帰一し奉り、物心一如の国家体制を確立し、以て光輝ある世界の道義的指導者たらんとす、茲に本会は互助相誡皇国臣民たるの自覚に徹し、率先して国民の推進力となり、つねに政府と表裏一体協力の関係に立ち、上意下達、下情上通を図り、以て高度国防体制の実現に努む

とあり、日本国民は一億一心、つねに政府と表裏一体の協力関係にあることを強調していた。

 この大政翼賛会の組織は、中央には近衛文麿を総裁として、閣僚・官僚・国会の議員・各界の要人らを網羅した中央本部が設けられ、各地方には道府県及び市町村の長を支部長としたそれぞれの支部が設けられた。埼玉県では同年十二月十二日、浦和女子師範学校講堂で、埼玉県知事土岐銀次郎を支部長とした埼玉県支部の結成式が行われ、帝国在郷軍人聯合会分会長や埼玉県師範学校長、埼玉県産業報国会聯合会副会長などを参与として発足をみている。各市町村でも、町内会・部落会・隣保班(隣組)の整備編成を行い、それぞれ市町村単位の支部を結成した。ここに各市町村をはじめ部落会や隣組にいたるまで、すべてが大政翼賛会の組織下に組入れられたわけである。因みに部落会や隣組、ならびにその連合体は、昭和十八年三月の町村制の改正で、正式に市町村の下部組織、つまり行政組織として位置づけられている。