翼賛村会

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この間警察を主体とした輿論指導委員会が設けられ、町村常会・部落常会・回覧板・掲示板・紙芝居などがその宣伝に利用され、諜報・謀略・反戦・反軍・その他社会不安を惹起する流言蜚語を強力に取締る措置もとられた。そのうえ自由主義者あるいは思想的に好ましくない者等の議員を締出すため、翼賛村会確立村民大会などが催され、公然と選挙の介入が指示されたりした。

 たとえば増林村昭和十七年十月の村民大会通知書には、

  増林国民学校ニ於テ、村会議員ニ関シ〝増林村翼賛村会確立村民大会〟開催ニツキ、有権者全員ノ出席ヲ得、席上重大申合セ等イタシタクニ付、貴下等ノ協力ヲ得ルコトニ臨ミ、団体長並ニ警察側ト協定相成タルニツキ、貴下等ハ団体役員タルノ資格責任ニ於テ、本大会ヲシテ増林ニ真ノ翼賛村会確立ノ礎石タラシムルヤウ、有権者ノ出席方ニツキ、部内洩レナク御誘ト同時ニ、別紙通達書ヲ手交シ、出欠票を出サシメ、欠席者ニハ氏名側ニ欠席ノ理由ヲ書キ添ヘラレタク

とある。また新方村同年六月の大会通知書には、「有権者ハ当日必ズ出席下サイ、尚不参ノ場合ハ再度召集致スカモ知レマセン」との但書が記されており、半ば強制的な大会参加の通知書であったことが知れる。