配給制

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そこで供給の適正化と消費の節約を期するため、切符による配給が実施に移された。この切符は、はじめ昭和十四年十一月五日の地下足袋の配給から始められた。このとき桜井村では十月分の地下足袋購入票が三五枚割当られたが、各大字ごとにその配給店が指定された。大字ごとの数量はわずか五足宛であり一足の代金は一円二五銭であった。当初は毎月桜井村に三五足~三八足の配給割当があったが、昭和十九年に入ると農業用一一足、土木建築用三足計一四足というように数量が減らされていき、しかも縫付布靴といった代用品に替えられていた。学童用のゴム底靴も配給であったが、昭和十九年度には桜井村で各月三五足の割当しかなかった。

 また砂糖とマッチは昭和十五年六月からはじめられたが、このうち砂糖は一ヵ月一人あたり〇・五斤、マッチは一日一人あたり五本宛の配給量であった。ただし砂糖は乳幼児や病人用として二斤以内、そのほか業務用としても従来の実績に応じ特別配給が認められた。これも十六年には一人あたり〇・四斤に減じられ、特別用も五割方減量となったが、後者は太平洋戦争開戦後一時もとに復した。しかし同十九年には砂糖一人あたり〇・三斤に引下げられ、特別配給は全廃された。このほか配給は酒類・煙草・調味料・木炭・米穀・青果・魚介類等、日常生活に必要なあらゆる品目に及んだ。