国民学校

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昭和十六年二月、勅令によって従来の小学校令が廃止され、かわって国民学校令が公布された。国民学校令の特色は、明治五年の学制以来慣用された小学校の名称が、国民学校と改められ、「皇国ノ道ニ則リ、国民ノ基礎的錬成ヲナス」という教育目的が掲げられたことである。教科目については、国民科・理数科・体練科・芸能科・実業科の五教科に大別されたが、ことに皇国の道を教育する国民科、体育の練成をはかる体練科に重点が置かれた。

 しかも戦局が進展するにつれ、国民学校生徒も教員を指導者とする少年団の組織に組入れられ、戦時訓練のための団体教練や、労働力の不足を補う勤労奉仕にかり出された。たとえば増林村を例にとると、増林村の少年団員は男二四五人、女二四五人の計四九〇人、男女各七分団に編成され、男は銃剣術、女は薙刀の修錬をうけ、参堂練成(坐禅カ)や団技訓練をうけた。このほか出征兵の見送りや戦没者英霊の出迎え、あるいは興亜奉公日の神社清掃、そして農繁期には勤労農作業に加わり、本来の学習時間はきわめて少なかったようである。