村びとの不満

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戦時下の村びとは、すべてが戦時施策に進んで協力していたとはかならずしもいえない。心の底に不満を持っていたが、表だって抵抗できなかっただけである。昭和十八年三月、大政翼賛会埼玉県支部推進員による現地調査の結果をまとめた報告書「現地に聞く」のうちから主なものを掲げると、次のごとくであるが、当時の村びとの不満を端的に窺うことができる。

(1)配給される日用品などの容器は、すべて回収されているが、米・麦・藷などの空俵は返戻されない。

(2)農村にも時には魚類の配給があってもよい。

(3)我々が常会の席上で「必ず再供出はないからできるだけ供出してくれ」と叫んでも、「騙されるものか」という空気が強い。一億一心戦争遂行に邁進すべき今日、政治家と国民の間がもっとしっくりせぬものか。

(4)供米を促進させるために、米価は何とかならないか。米一俵と足袋一〇足と同じとは涙のでる話である。

(5)我が村の供米成績が悪いのは、一、二の不良組合の存立に原因している。駅やバス乗場で、一、二升の米を持った者を取締るのはやさしいが、大口の横流しをしている不良組合を取締ることはむずかしいとみえる。

(6)青果物の出荷に対し、農会や市場の取扱いは煩雑をきわめている。労力不足の生産者に手数をかけることは出荷意欲をいちじるしく減退させる。手数の簡易化が必要である。

(7)大政翼賛会と翼賛壮年団の一本化を望む。各村の翼賛推進員は、ほとんど翼壮団員であり、推進員の機能は活用されてない。

(8)大日本婦人会の役員は戦時下の何たるかを知らない。役員は常に会服の下に華麗な衣服を着け、着物の買占めなどの協議に熱中している。指導者の陣頭指揮を望む。

(9)工場徴用などで、三里以上の距離にある大工場に通勤する者が多いが、皆その顔色はひどく悪い。朝五時に家を出て、夜九時に帰る遠距離通勤者の善処を要望する。

(10)浴場業者は、組合の取きめと称し、三十分を超過する入浴者の入場を断っている。子持ちの者は三十分ではどうしようもない。入浴によって心身を安めようとする庶民階級にとって困った問題である。