本土空襲

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昭和十七年四月十八日、太平洋戦争開始後、空母ホーネットから飛び立ったノースアメリカンB二五による米軍の最初の本土空襲があった。このとき一機は南埼玉郡潮止村(現八潮市)古新田の日本煉瓦製造株式会社潮止工場の北方一〇〇米の畑に爆弾を投下したが、人畜の被害はなかった。さらに十九年に入ると本格的な本土空襲がはじまったが、同年七月十日北葛飾郡杉戸町の高等家政女学校が爆撃をうけ、職員・生徒七名の死亡者がでた。また同十一月二十四日には、南埼玉郡八幡村大曾根(現八潮市)に焼夷弾一四個、潮止村に同九個が投下され、大曾根の農家物置一棟が全焼している。こうした米軍の空襲は、主に東京都に集中したが、十九年十二月には、足立郡大宮市付近の上空で空中戦が展開されていた。この緊迫したなかで、越ヶ谷警防団員が書記した防空情報が残されている。当時の空襲情況の一端が知れるものなので次に掲げる。

  敵機十機、忍上空ヲ来襲、敵機ハ主トシ県東部地方ニアリ、二日午前十時〇四分受理

  午前十時三十分、 (ママ)市ニ焼夷弾一個投下、焼失家屋四戸、同十時二十分、山口貯水池ニ二五〇粁ノ爆弾一個投下、破壊家屋二二戸、死傷者一二〇名、人心平静ナリ、二日午前十一時五十分受理

  本日午前十時五十分、熊谷市ニ焼夷カードヲ散布セシモ人心平静ニテ被害ナシ、尚他都市ニ相当多数散布ノ恐レアリ、人心動揺セサル様注意セラレタシ、二月午后十二時十五分受理

  本日午前十一時〇五分頃、熊谷市内ニ持久性瓦斯弾投下セラレタリ、二日午后一時三十分受理

  午后二時三十五分ニ於ケル敵機在空状況、秩父方面一キ、大和田方面二キ、久喜方面一キ、二日午后二時四十五分受理

  防空本部発、各地方の状況を総合するに、目下県内に在空の敵機無きものと判断せらる。二日午后拾壱時五分

  九月三日午前八時五十五分状況報告、目下敵機青森、秋田方面ノ要地ヲ爆撃中ニ有リ、別ニ日本海方面ニ敵飛行機十四機帝都ニ向ヒ進行中、関東地方降雨中ナルモ敵機ノ雲上飛行ヲ考慮、爆音聴取ニ注意、厳重ナル警戒ヲ要ス

  九月三日午前九時五十七分状況報告、九時十分カラ秋田方面ニ現レタル機種不明ノ敵機ハ、同方面ヲ爆撃中ナリ

  九月三日午前九時五拾七分状況報告、今朝沖縄列島西方ニ現出セル敵機ハ二回ニ渉リ、其一部ハ呉方面ニ、其一部ハ関東方面ニ進行中ナリ

  防空状況、十四機ヨリナル敵飛行テイ、日本海方面ヨリ帝都ニ向ヒ行進中ナリ、午前十時以後、特ニ厳重警戒セヨ

  其の後の県下に於ける投下弾状況左の如し

  一入間郡南駒地内十瓩焼夷弾二個投下せられたるも、右は金子飛行場を目標とせらる

  二比企郡大和田地内に五十瓩爆弾一個、右は電力性破壊としたるものゝ如し

  三大里郡竹川村地内に五瓩焼夷弾

  四北埼玉郡田ヶ谷村地内に五瓩の焼夷弾投下せられたるも何れも被害無し、二日午後十一時四十分

  一沖縄列島方面ニ於テ二隊ニ分レ徳山方面ニ侵入セル一隊ハ、午前十時三十分広島上空、呉軍港上空ニ於テ全部撃墜セラル

  一秋田・青森地区ニ於テハ以前敵機ノ爆撃継続セラレ、三陸海面ニ対シテモ午前十時二十分訓練空襲警報発令セラレタリ

  諸般ノ状況ヲ見ルニ、目下本県下ニ在空セル航空機ハナキ模様ナリ、十月三日午前十時、県統監部発表、午后三時五〇分受理

  午後二時五分前後ニ於テ、鳩ヶ谷・吉川・菖蒲方面ニ爆音ヲ聴取ス、敵味方不明ナリ

  午後二時やゝ過ぎ、大型五機の敵編隊は、岩手県の東海岸にそひて南下し、目下仙台北方地区に進入し、要点を爆撃中なり

  中部軍司令部依りの通報に依れば、能登半島西北方八粁の海上に、敵機編隊らしき爆音を聴く、三日午后三時

とある。これには年度が記されてないが、おそらく昭和十九年九月から十月にかけての空襲情報であろう。その後空襲は二十年に入ると一層激化したが、ことに東京都は連続した大空襲をうけ、そのほとんどが灰塵に帰した。これにともない多くの戦災者が近郊農村に避難したので、越谷地域への疎開者も急激に増大していった。

 この間越谷地域の空襲状況はどのようなものであったろうか、『埼玉県警察史』第二巻によってこの間の事情をみてみよう。二十年二月二十五日八条村の立野堀と同伊草に焼夷弾と爆弾が投下され、全焼一二戸半焼三戸の被害をうけた。ついで同三月四日、潮止村古新田に焼夷弾が投下され、二名の負傷者がでた。同五月二十四日には蒲生村登戸地内の水田に焼夷弾六五個、同夜大相模村四条地内に焼夷弾七八個が投下され、四条の農家一戸が全焼の被害をうけた。さらに五月二十五日には大沢町鷺後地内、大袋村大房地内、新方村弥十郎地内、それに潮止村に焼夷弾が投下されたが、このうち潮止村では全焼二戸と死亡者一名の犠牲者がでている。このほか熊谷・浦和・大宮・川口の都市部は、第51表のごとく空襲による被害は甚大であった。

第51表 埼玉県空襲被害状況
年月日被害状況
17.4.18南埼玉郡潮止村古新田に爆弾投下 被害なし
19.11.24南埼玉郡潮止村,同八幡村大曾根に焼夷弾投下,物置1棟全焼
20.2.10北埼玉郡埼玉村に爆弾投下,2戸倒壊,死者9名
2.19秩父郡秩父町に焼夷弾 1戸全焼
2.25北埼玉郡川俣・井泉・村君に焼夷弾 1戸半焼
〃 南埼玉郡八条村立野堀,同伊草に焼夷弾 全焼12戸
3.4潮止村古新田に焼夷弾負傷者2名
3.10川口市芝川公園に米機1機墜落
4.2入間,南埼玉,北足立及び川口市に時限爆弾と照明弾
4.3川口市に爆弾 死者1名,重軽傷者15名 全壊46戸,半壊13戸
4.12大宮,浦和及び北足立・入間両郡に爆弾 中山道筋春日町で全壊16戸死者36名
4.13川口市に焼夷弾 全焼82戸,全壊80戸,半焼2戸,半壊50戸,B29 1機墜落
〃 蕨町に同,全焼28戸,死者11名,大宮市に同,全焼238戸,死者1名
4.14浦和市被爆,130戸被災,死者5名
5.24南埼玉郡蒲生村登戸,大相模村四条に焼夷弾,全焼1戸
5.25蕨町に焼夷弾3戸全焼,死者2名,入間郡に銃撃死者1名
〃 潮止村,大沢町鷺後,大袋村大房,新方村弥十郎に焼夷弾,潮止村で2戸全焼,死者1名
5.26入間郡水富村笹井に焼夷弾,全焼54戸,死者13名,重軽傷者11名
〃 浦和市同56戸被災,死者11名,重軽傷16名
7.6大宮市に謀略ビラ
7.8入間郡に機銃掃射 2ヵ所火災
7.10県下を銃爆撃 北葛飾郡の某家政女学校で10数名死者
〃 入間郡の国民学校長死亡
7.18大里・北埼玉,南埼玉に爆弾,死傷者がでた
7.28羽生ゴム工場に機銃掃射,死者1名,負傷者1名
〃 秩父町にロケット弾,死者1名,負傷者3名
8.3大宮市に機銃掃射,死者4名
8.10川口市に爆弾,死傷者がでた
8.13川越・熊谷両市に銃撃
8.14熊谷市に焼夷弾,3,630戸全焼,死者234名,負傷者3,000名
〃 忍町同,13焼失,下忍村同6戸,大井村同65戸,死者7名

(『埼玉県警察史』第2巻より作成)