主要食料の供出

729~732 / 1164ページ

敗戦により、日本経済は崩壊寸前の状態になり、昭和二十年(一九四五)時点で工業生産は戦前(一九三四~三六年)の一割、農業生産は六割にまで低落した。敗戦とともに激化した空前の食糧危機や悪性インフレーションの猛威、膨大な失業者の発生というように、国民生活は破綻に瀕していた。その上、敗戦直後からの経済再建は、鉱工業の再建を軸とする、いわゆる「傾斜生産方式」(昭和二十一年に決定された「石炭・鉄鋼超重点増産計画」によって同二十四年まで実施された生産方式)によってなされようとした。このため、農民にたいしては低米価、強権供出、重税、インフレ政策によるはげしい収奪がなされた。これと併行して、のちに述べる農地改革がおこなわれた。農地改革による農民の広汎な自作農化は、食糧増産、低価格・強権供出を可能にし、経済危機を乗りきり、再建の基礎をすえるためにとられた措置でもあった。このような政策は、越谷市域の農村ではどのように現実化し、農民はどのように対応したであろうか。日本経済が復興される昭和二十五~六年までの期間における農民の姿を、強権供出を中心にのべてみよう。

 敗戦直後の日本経済が直面した最大の困難の一つは食糧問題であった。東京という日本最大の消費地を背後にかかえた埼玉県のうちでも穀倉地帯である越谷市域の村々に対しては、食糧の増産と供出強化がつよく要請されることになる。

 昭和二十年は全国的に大不作であったため米の需給が著しく緊迫した。埼玉県でもその統計書によれば、米の収穫量は昭和十九年度の実収に比較して、二〇%から三〇%の減収であった。そのため、政府の必死の呼びかけにもかかわらず、米の供出は一向成績があがらなかったので、首都東京をはじめ、各地とも未曾有の食糧難に陥った。政府は国内戦場化に備えるという理由で米食の一割減配を決めていたが、終戦後の二十年十一月、東京都は埼玉県にたいし採苗後の床藷(とこいも)の供出を懇請するほどであった。そこで県では、約二〇〇万貫と推定される床藷のうちで、アルコールや味噌の原料として使用される五〇万貫を除き、残りの分から五〇万貫を送ることに決め、県下各市町村の供出農家に無償供出を依頼して、東京都に届けた。

 こうした食糧危機を打開するため、政府は同年十月「昭和二十年産米供出要項」を制定した。これによってはじめて、米以外の代用供出制度が採用され、また割当て制度も従来の村落単位の割当てをもとに個人割当てに変更された。さらに、「総合供出」制度は米以外の麦、雑穀、豆類、いも類、食用となる茎葉類、海藻類までも供出の対象にくみいれたものであった。十一月には同年産米の供出確保のため、肥料、農具、衣料品、雑貨などの物資の特配をおこなう報償制度がとられ、これら物資が供出遂行農家に特配されることになった。しかし、二十年末の供出量は不作の影響もあり、予定数量の二八%という低い成績であった。

農家への主食配給回覧板(新方村)

 そこで政府は翌二十一年二月十七日に「食糧緊急措置令」を発令した。この勅令は、食糧管理法の規定に基づいて割当てられた供出数量を供出しないときには、その供出しない数量を一定の手続きによって、政府が強制収用できるというきわめて強権的なものであった。こうした直接の強権に基づく食糧の調達は「ジープ供出」とよばれた。

 埼玉県では、この「食糧緊急措置令」に対応して「食糧供出緊急対策要綱」を定めて供出の督励にあたった。この要綱の要旨を示すと、

  (一)米供出絶対完遂対策トシテ、三月十五日迄ニ之レガ完遂ヲ為シタル市町村ニ対シテハ、本要綱ニ依リ、左ノ特別措置ヲ講ズルモノトス

として、①割当て数量を完遂した市町村には、供出数量の一割以内の麦類を還元する。②特別報償として衣料、地綿・糸の特配を行なう。③農村娯楽のために演芸慰問を派遣する。④供出優良市町村ならびにその団体を表彰する。

  (二)米供出ニ関シ、悪質不信ノ農家ニ対シテハ、食糧緊急措置令ヲ発令シ、信賞必罰ヲ明カニスルモノトス

  (三)三月中供出ヲ完了セザル町村ニ対シテハ、四月分ヨリ供出未了ノ数量ヲ農家配給ヨリ差引スルモノトス

  (四)農家必需物資、医療、労務ノ対価トシテノ米、麦等ノ要求収受ニ関シテハ、所謂物々交換ノ取締ヲ強化シ、常習悪質者ヲ対象トシ、厳重処断スルモノトス

  (五)消費者ニシテ主要食糧ヲ多量不正取得シタル者ニ対シテハ、配給ノ停止、又ハ収得主要食糧ノ強制収用ヲナスモノトス

というきわめて厳しい内容のものであった。農家は供出の完納なしには配給も受けられない、しかも供出量は飯米にも食い込む、いわゆる「裸供出」を強いられることになる。

 米供出用の報償物資としては、(1)肥料の特配、硫安または石灰窒素、その配給基準は、割当の七〇%を超えたもの一俵につき三・七五キロ(一貫目)、一〇〇%の完遂者には一俵につき一一・二五キロ(三貫目)、(2)酒類の特配、(3)繊維製品の特配、(4)日用品の特配、この品目は煙草、石鹸、マッチ、鉛筆、ローソク、(5)農機具の特配、となっている。ただし、農機具の特配に関しては、配給の内示があったが、目下製造中で現品は五~六月入荷の予定と但し書がついている。

 また二十三年四月、政府は超過供出の特別価格を決定し、米・麦・雑穀は普通買い入れ価格の三倍、甘藷は二・五倍、馬鈴薯は二・五倍とした。この措置は食糧不足のもとで、コストを割るような低い供出価格を是正したものであり、公定米価とヤミ米価の価格差を縮少することを考慮したものであった。

 昭和二十六年には、雑穀、豆類、いも類などが統制からはずされ、また、従来の「事前割当て制度」が廃止され、事後割当ての供出制度にあらためられた。

 しかし、こうした強権的な「ジープ供出」は食糧事情の緩和にともなって二十五年以後になるとしだいに影をひそめ、供出はむしろ農家経済の利益ともなって農民の供米意欲を刺激するという方向に変化していった。