台風の襲来と洪水の発生

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昭和二十二年九月十五日の午後八時頃に房総半島南端を通過したカスリーン台風は、利根川上流地方に、広範囲にわたって短時日のうちに合計四〇〇ミリメートルにおよぶ降雨をもたらした。このため、台風の通過後から利根川の水位は急速に上昇し、ついに同日の夜半すぎには、栗橋上流約四キロメートルの右岸本堤が二〇〇メートルから三五〇メートルにわたって欠潰するに至った。欠潰地点の溢流とその後の破堤は、国道四号線、東北本線、東武線の三橋梁の堰止め作用と、渡良瀬川の合流による水位の異常上昇がかさなって生じたものであるが、その結果、この決潰口は十七日の午前には利根本流の全流量を吐き出すまでに拡大され、一時は渡良瀬川からの逆流すら観測されるに至った。流出した利根川の濁流は、たちまちのうちに人家を破壊し、田畑を洗いながら、その主流は庄内古川、中川沿いに南下し、十七日の昼頃には早くも隣接する松伏村に達している。

 しかし、越谷地方は洪水本流からはずれていたこと、微高地を伴う自然堤防によってあたかも濃美平野の輪中地域のように水から護られていたことなどの状況から、桜井地区の一部を除き洪水に見舞われたのは、およそ利根川堤決潰三日後の十八日の明け方から同日の夜半にかけてのことであった。

洪水進行状況図