古利根川と元荒川にはさまれた増林・新方両地区を中心に、人びとを恐怖のるつぼにおとし込んだ濁流によって、市内各地で堤防破損と浸水家屋が続出した。なかでも被害のはなはだしかった増林村の場合をみると、逆川で二ヵ所、元荒川で一〇ヵ所、古利根川で十八ヵ所、千間堀で一一ヵ所の合計四一ヵ所、総延長一九三三メートルの堤防が決潰した。これらの破堤箇所は、湛水排除のために切開したもの二ヵ所以外は、いずれも溢流水(堤防を越えて溢れ出た水)によるものであった。
出水に伴う家屋の浸水被害状況は、記録によると、桜井地区で床上浸水九六戸、床下浸水一八二戸、同じく新方地区で床上一八七戸、床下一九〇戸、大袋地区で床上二二二戸、床下六三戸を数えた。とくに被害の甚しかった増林地区では床上六五〇戸、床下二二二戸の浸水家屋をみたが、この数字は増林村のすべての家庭が被害をうけたことになる。この被害総額は、肥料の流失一二〇万円、家財什器の流失破損八〇万円、食料の流失汚損六〇万円、燃料の流失六〇万円、家屋の破損八〇万円と見込まれ、合計四〇〇万円という莫大な金額にのぼっている。それに収穫前の水稲や野菜の潰滅的な被害を加えると、その実態は測り知れないほどの大損害であった。
区分 | 住宅 | 住宅侵水状況 | 人畜被害 | |||||
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町村名 | 流失 | 全壌 | 半壊 | 計 | 床上 | 床下 | 計 | |
戸 | 戸 | 戸 | 戸 | 戸 | ||||
増林村 | ― | ― | 5 | 5 | 650 | 222 | 872 | ― |
桜井村 | ― | ― | ― | ― | 96 | 182 | 278 | ― |
新方村 | ― | ― | ― | ― | 187 | 190 | 377 | 鶏100羽 |
大袋村 | ― | ― | ― | ― | 222 | 63 | 285 | ― |
市史編さん室資料
しかしながら、洪水域の広さ、被害戸数の大きさ、湛水の深さに比較すると、家屋の流失や倒潰、人畜の生命にかかわる被害はすくなかった。たとえば、桜井地区で出水に驚いた老人がショックで死亡した以外には、直接、間接を問わず水害による死者はなく、また、負傷者も出水前後の水防作業もしくは避難中に若干発生しただけである。同様に、家畜についても新方地区で鶏一〇〇羽が流失した以外は、ほとんど被害はなかったようである。上流部決潰口付近に多くみられた流失または全半壊家屋も、越谷地方の決潰地点ではきわめてすくなく、わずか四戸の半壊被害が記録されているにすぎない。
床上浸水一一五七戸、床下浸水六五七戸にのぼる越谷地方の洪水は、破壊的エネルギーこそ上流部の洪水にくらべると弱かったが、短かいところで二~三日、長いところでは一週間以上に渉って深く湛水したため、被害家庭の多くは、自然堤防上の微高地に建てられた社寺や学校に緊急避難し、不安な数日を過ごさねばならなかった。これら被災者たちの主な避難先は、増林地区の場合、中・小学校へ延べ八七〇人、香取神社へ七五〇人、東正寺へ七四二人、新勝寺へ二九四人、東福寺へ四七六人となっており、合計三一四二人が一四日間避難所に逗留した。また桜井地区では、安国寺へ延べ一三四人、林西寺へ七〇人がそれぞれ六日から七日にわたって避難した。このほか、新方地区では四八世帯二六三人が、同じく大袋地区では八世帯四六人が、村内に設けられた一時避難所や縁故先へ身を寄せなければならなかった。
避難所 | 避難期間 | 延べ収容人数 | |
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日間 | 人 | ||
増林村 | 中小学校 | 14 | 870 |
香取神社 | 14 | 750 | |
東正寺 | 14 | 742 | |
新勝寺 | 14 | 294 | |
東福寺 | 14 | 476 | |
桜井村 | 安国寺 | 7 | 136 |
林西寺 | 6 | 70 |
市史編さん室資料