水害の頻発と元荒川治水同盟の結成

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越谷地域をはじめとする中川水系流域では、カスリーン台風による大水害以降も、毎年のように六月から九月になると集中豪雨による湛冠水被害が発生したので、根本的な元荒川改修を求める人びとの声は日増しに高まっていった。これに対し、元荒川を含めた「中川水系改修事業」は、利根特定地域総合開発計画の一環事業として昭和二十六年に閣議決定したものの、元荒川の改修は中川改修後(昭和三十一年以降)の予定となった。

 このため、あいつぐ被害と国の治水計画の手ぬるさにたまりかねた元荒川沿岸六四ヵ町村の人びとは、昭和二十六年十月に、元荒川治水同盟会を結成し計画の早期実現に乗りだした。翌二十七年三月、元荒川治水同盟は、当面の運動方針として、中川改修工事と並行して元荒川の改修計画を樹立すること、ならびに、中川改修完了予定年度までに元荒川改修も完了させることの二点を決議し概略つぎのような運動内容を決定した。

一、関係地区全員を対象とする署名運動を展開し、これに基づいて建設省、県知事、県議会への陳情と請願を行なう。

二、暫定措置として、堤防の補強工事と河床の浚渫工事の促進を継続して関係機関へ陳情する。

三、とくに、瓦曾根堰下流より中川合流点までの間の改修は即時着工を要請する。

 以上のべたような運動方針と運動内容のもとに、元荒川治水同盟は、関係各界に積極的な促進運動を展開したが、一方、中川下流部にあたる東京都と連携し、二十七年十一月、荒川・中川総合開発連盟を結成した。

 また、沿岸住民を挙げての運動に呼応して、埼玉県議会も元荒川治水の請願を満場一致で可決した。こうして、元荒川治水問題は、地元市町村の手から一歩離れ県や国政レベルの問題に移され、ここにその実現に向けて大きく前進することになった。