政府はインフレに対する公務員の生活保償のため、地域によっては特別な手当を支給した。桜井村でもこの手当支給を要望し、昭和二十八年十月公務員の生活実態を示した地域給支給の請願書を提出した。これによると、当時の桜井村の配給米価は一升当り九七円、闇値で同二三〇円、麦一升当り六五円、味噌一貫目当り上で三五〇円、並で二五〇円、キッコーマン醤油一升当り一三〇円、砂糖一貫目当り上で四五〇円、並で四〇〇円、木炭四貫俵北海道もので三〇〇円から三二〇円、秋田もの同四五〇円から五五〇円。
大豆一升当り八〇円、小豆同一五〇円、ごま油同四〇〇円、菜種油同三〇〇円、煉炭一袋二二〇円、ねぎ一貫目一五〇円、ほうれん草一把二五円から三〇円、大根一本一五円から二五円、キャベツ一個八〇円から九〇円、さつま芋一貫目六〇円から七五円(供出価格同一〇円)、りんご一個一五円から二五円、みかん一個五円から七円、柿一個五円から一〇円、ぶどう一〇〇匁三〇円、梨一個二〇円から二五円、豆腐一丁二〇円、油揚一枚五円という価格であった。
これに対したとえば教職二五年勤続、子供五人の七人家族である桜井村学校職員の月俸は二万六〇〇〇円、その支出月額はどう切りつめても二万七五九〇円で一五九〇円ほどの赤字となる。この支出の内訳は、主食費九七三〇円、副食費六二六〇円、調味料一六〇〇円、嗜好品五〇〇円、住居費六三〇円、被服費一八九〇円、光熱費一九四〇円、保健衛生費五三〇円、教養娯楽費三六五〇円、その他八六〇円であり、差引不足額は家内の内職で補っているとある。
また、夫婦と子供二人の四人家族の役場吏員の場合、月収は一万一八〇〇円、支出は一万二九二五円で、差引一一二五円の赤字となっている。支出の内訳は、主食費三五〇〇円、副食費二五〇〇円、調味料三七五円、嗜好品一一〇〇円、住居費五〇〇円、被服費一五〇〇円、光熱費七五〇円、保健衛生費三五〇円、教養娯楽費一五〇〇円、簡易保険掛金八五〇円であり、差引不足額は同じく家内の内職によって補っているとある。しかも当地域は米麦の産地であるため、東京などからの出入りが多く、米麦の闇価格はむしろ東京都心部より高価であり、俸給生活者の生計は消費地域と変らず苦しいと訴えていた。