部落会の廃止

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昭和二十二年三月二十九日、埼玉県内務部長からの通達が各町村に示された。すなわち、「昭和十五年内務省訓令第十七号によって、町内会・部落会の整備要領が訓令せられたが、同訓令は今日の時勢に副はないものがあるので、昭和二十二年一月二十二日、これを廃止することとなった。ついては埼玉県でも訓令第四号をもって本年三月三十一日限り之を廃止することとなった」という趣旨のもので、町内会・部落会の廃止を指示したものであった。そしてその廃止に基づき、

(1)現在町内会長・部落会長、及び同連合会長が行なっている行政的事務は、速やかに市町村に移管すること。

(2)町内会・部落会等より市町村に移管した行政的事務を担当させるため、必要がある場合は、従来の町内会・部落会 又は適当な区域は市町村職員を駐在せしめる等の方法を考えること。

(3)駐在員を置く場合は、専任職員とするも、また委嘱制を採るも差支えないが、成るべく最少限度に止めること。

(4)市民会又は住民会等において取扱う事務は、概ね左のごときものとすること、(イ)物資共同購入に関すること、(ロ)保健体育に関すること、(ハ)納税施設に関すること、(ニ)防火防犯に関すること、(ホ)社会教育その他文化の向上に関すること、(ヘ)その他従来町内会・部落会等で行なっていた事業の中、隣保相扶の団体として相応しいもの、及び市町村民の福利増進に関する事項。

とて部落会廃止後の具体的な事項が示された。

 すなわち従来町内会・部落会で行われていた配給業務や証明書発行などすべての業務は、市町村役場に移管され、町内会・部落会は任意の団体として、その行なう諸業務は、防犯・文化・福利など強制をともなわない事業に限定されたのである。

 それではいわゆる隣組の母体である町内会・部落会が従来行なっていたもので市町村役場に移管しなければならない諸業務とは、どのようなものであったろうか。同じく県からの基準範囲を示した通達によると、

  (1)世帯票の整理           (2)転出入の証明

  (3)配給通帳の検印          (4)無所得の証明

  (5)居住証明             (6)配給(物資分配方法の通知・物資の分配・代金の徴収・購入票の配付)

  (7)市区町村より通知の伝達(回覧板) (8)納税告知書の配付・税金の徴収・大掃除などの査察

  (9)各種調査報告           (10)消毒剤の撒布

  従来町内会・部落会で行っていた事業で、隣保相扶の団体として相応したもの、たとえば文化事業のようなものは、あらたに結成される任意団体が行なうものとすること

となっていた。しかし戦時中から永年の慣習として住民の間に定着していた隣組の業務は、早急には解消させることはできなかったし、役場においても、すぐにはこうした隣組の業務を引継ぐだけの機構を整えることはできなかった。

 このため町内会・部落会の組織や機能をそのまま存続させていたので、同年四月七日、県では改めて「町内会・部落会の廃止並にその後の措置について」という強硬な通達を各町村に達した。すなわちこの通達中「国民ならびに関係当事者の中には、此の措置に対して明確なる認識を有していない者も見受けられる向もある」として、

(1)本年四月一日以降、町内会・部落会・同連合会ならびに隣組は存在しない。この四つの機関の長の職務も消滅し、今後この種の強制的性格を持つ団体の存在は、如何なる形においても一切許されず、後継団体もなくなったこと。

(2)今次の措置は、改正憲法の施行に先立ち、地方行政の末端に至る迄、戦時統制機構を一掃することにより、四月中に行なわれる各種選挙の公正な実施を確保し、以て民主日本建設の基盤を確固不動ならしめようとするものであり、我が国の民主化の上に極めて重要な意義を有するものである。

(3)隣組廃止後においても、配給に関する機構がそのまま継続するように解している向が見受けられるが、今後配給については、如何なる団体の存在も必要とせず、各消費者は直接配給を受けることができること。

とある。つまりこの措置は、新憲法の施行に先立ち、四月中に行なわれる各種選挙の公正な実施をはかるためにも、早急に徹底させる必要があったのである。

 事実同年四月十八日付の県選挙管理委員会と、県内務部長の通達によると、

  町内会・部落会、若くはその連合会又は隣組の廃止後に於ても、従来町内会・部落会若くはその連合会の長又は隣組の長であった者が、従来から有する特殊な地位を利用して、従前の構成員に対し選挙運動をなし、或は旧組織を利用して公的機能に従事するが如きことは、町内会・部落会・隣組の組織を廃止した指示に違反するものであるから、斯る事態につき調査すると共に、今後絶対に斯ることのないよう措置すること。尚斯るものが従来同様の公的支配力を継続することの禁止に関し、別途考慮中である。右は国民の自由なる意志を防げられるが如き印象を国際的に与へる虞れもあるので特に注意する

として、過般の地方公共団体の長の選挙についても、

(1)各種選挙に共通する投票所入場券を、投票後直ちに選挙人に返さず、選挙終了後、町内会・部落会・連合会・隣組の旧組織、またはこれらの旧役員を通じて選挙人に返そうとした。

(2)市町村の選挙管理委員会のなかには、町内会・部落会あるいは隣組の長であった者を利用し、棄権者の棄権の事由を調査させた。

などの事例があったとこれを指摘していた。なおここではすでに町内会など、この種の長が公的支配力を継続することの禁止、つまり公職追放を別途考慮中であることが告知されていた。

 ついで五月三日「町内会・部落会又はその連合会等に関する解散・就職禁止その他の行為の制限に関する件」として、政令第一五号が公布され、各地方事務所から各町村に通知された。この政令は第九条からなっているが、その主なものを挙げると、

  (1)昭和二十一年九月一日まで、引続き町内会・部落会又はその連合会の長の職にあつた者、ならびにその補助職員であつた者は、昭和二十二年五月一日から起算して、四年間は、これらの職務にかかわる職につくことはできない。また現にその職にある者は、遅滞なくその職を退かなければならない。

  (2)町内会などに属する財産は速やかに処分しなければならない。

などであった。県ではその後この政令の履行についてしばしば指導を行なっている。たとえば七月十六日の総務部長の通牒には、

  最近伝えられるところによれば、一部に政令の真精神を没却し、或はこれを軽視し、形式を換え名称を変更し、又はその地域に若干の改編を加へ、事実上従前の町内会・部落会又はその下部機構たる隣組に何等変るところなく既存組織を温存し、或は殆ど類似せる組織の下において配給その他行政事務を運営し、又はこれを利用し寄附金募集等に当つておるものがあるやを耳にすることは、恂(まこと)に遺憾に堪えない。

   右については、軍政部も重大なる関心を寄せられているところである。隣組等の制度が国民の日常生活に直結して、最も親しまれていた組織だけに、これを廃止したことによつて、その過渡期において幾多の不便を生ずることは想像されるのであるが、これらの組織が今日の時勢に副わないとの理由の下に、政令の公布を見るに至つた経緯に顧みて、斯る組織温存の慣習を速かに打破すると共に、住民も関係当事者もあらゆる創意と工夫を凝し、国家再建に向つて邁進することが、やがて民主的平和国家の建設に資する所以である点に深く想を致し、政令の忠実なる履行に一般の留意を払われるよう致されたい。

  (1)旧隣組の地域を単位として、その組織の上に当番制を置き、各種配給物の伝達配給又は代金の徴収等を扱つているのは類似組織と認める。

  (2)市町村が一般住民への連絡に当り、区長制を認め、区長が更に旧隣組の組織を通じて回覧式によつて通達等を行つてはならない。

  (3)親睦会等単に名称の変更が行われただけで、配給その他従前行われた方法が継続されていることはいけない。

  (4)各種寄附金の募集に当つて、旧隣組単位に割当を行い、或いは町内会長など旧職の者が寄附募集委員等の資格で寄附募集を行うごときは、明らかに旧組織の利用と断ぜざるを得ない。

など、幾多の事例を示して積極的な指導を行なっていた。さらに八月十二日、県は「町内会・部落会の廃止、又は解散状況について」の報告を各町村に求めてきた。この報告書は、たとえば桜井村についてみると、第13表のごとくである。そして「解散後の処置及運営状況」の報告では、周知板の増設数は二一ヵ所、主要食糧の配給方法としては戸別持込。一般行政の住民への伝達方法としては、(イ)常使三人、(ロ)メガホンを以て高声を発す、(ハ)小・中学校生徒に依頼、伝達方を一般に周知せしむ、(ニ)場合により役場職員連絡出張、最近の桜井村総世帯数は八月一日現在五四三戸三〇四〇人であると報告していた。

第13表 桜井村部落会解散状況報告
名称解散日処置の大要財産処分月日処分の大要処分の決定
大里会部落昭22.3.283月28日総会を開き会長より解散の事情を説明解散する昭22.4.10金銭なし書類箱1個焼却す総会の決議
下間久里部落会昭22.3.303月30日総会を開き会長より解散の事情を説明解散昭22.4.10金銭なし書類のみ散会と共に焼却
上間久里部落会
大泊部落会
平方1区部落会金11,663円7銭内5,372円消防第5分団へ残りを実行組会へ
平方2区部落会金銭なし,書類のみ散会と共に焼却
平方3区部落会

 なお桜井村役場では、部落会などの職務移管にともなう業務の増大から、七月一日現在役場職員は村長を除き七名であったが、七月二十日現在には七名が増員され一四名の職員構成になった。このように町内会・部落会の解散は、政令によって短期間のうちにきびしく推進された。これは末端戦時機構の解消とともに各会長などの職にある村内有力者が、住民と密着していたために生じた権力の排除を目的としたもので、民政部ではとくに力を入れた政策の一つであった。

 しかし、民主主義の何であるかを理解できなかった当時の日本国民にとっては、戸惑いが先に立ち、役場機構の不備と重なって大きな混乱をみせた。その後強制力を持った諸業務は、逐次役場に移されたが、町内会・部落会の組織は、防火・防犯・文化事業などの任意団体として生かされ、いまなお存続していることはいうまでもない。