警察庁舎の建設

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この間国家地方警察越ヶ谷警察署(出羽・新方村などの村部管掌)に同居していた越ヶ谷・大沢自治体警察署は、早急に独立庁舎建設の必要に迫られ、二十三年十二月、越ヶ谷町字東町裏四三三八番地(新町)に七二坪の敷地を求め、建坪六〇坪の二階建庁舎を建設することになった。はじめこの建築請負額は金一六九万一〇〇〇円であったが、途中設計の一部変更その他庁舎付属設備の施工などで総工費は二〇九万五六九九円となった。この工費の捻出は町財政の窮迫から、その大半は寄付金によらねばならなかった。すなわちこのときの「工事報告書」には、

  我越ヶ谷町に於て警察署庁舎の新築を計画しましたのは昭和二十三年九月頃でした。時恰も新制中学校建設途上でありましたため、其の資金の捻出に頭を悩し、如何にして建設資金を獲得するやを検討しましたが、町費にては如何とも町財政が許さないため、其財源は町民の寄付以外に方法はなしと云ふ結論に到達致しましたものの、学校の寄付金百五十万円さへも中々困難を感じ居る時でありましたから、今迄の方法にては到底其目的を達すること困難なりと云ふことに思を致し、各種団体を主とし(下略)

とて、寄付の対象は越ヶ谷繊維団体小売商業協同組合・越ヶ谷自転車組合・越ヶ谷飲料組合・越ヶ谷鮮魚組合・越ヶ谷青果小売組合・越ヶ谷町医師団などの組合や諸団体を通じて行なわれた。このほか篤志家による特別寄付で募金額は一〇八万九八〇〇円の目途がついた。もちろん県からも六八万一〇〇〇円の補助金支出が認可されたが、これに町費の一般会計からの繰入金三二万四八九九円を加え、合計二〇九万五六九九円の資金が確保されるはずであった。

 ところが寄付金の納入実績は、納入期限が過ぎても当初予定額の七〇%に達しなかった。このため警察管理者越ヶ谷町長は、埼玉県知事宛に、「前に着工せる新制中学校の建築費寄付金百五十万と〝かちあい〟せるため、其成績思わしからず、折柄小学校火災に伴ふ復旧工事費も、其大部分は町民の寄付にあほぎしため、未だ整理つかず」とて、建築費県費追加補助の申請を行なった。

 こうして建設費の財源に苦慮しながらも、警察署の新庁舎は翌二十四年二月二十二日に竣功した。だがこの竣功式は越ヶ谷小学校の火災などで延期され、翌二十五年三月七日、新警察法施行三周年記念式典を兼ねて、埼玉県知事・埼玉県警察隊長らの列席のもと、新装なった越ヶ谷中学校で挙行された。

 この間越ヶ谷・大沢組合警察署は、近隣各村を管掌した国家地方警察とともに、主食の取締りや不供出犯の摘発、あるいは犯罪人の逮捕など、町の治安に万全を期したが、一面、町内の要所要所で子供たちを集め、交通安全の紙芝居を熱演したり、不良化防止運動の一環として少年野球大会を主催したりして住民から親しまれた。また元荒川で溺れた子供を救助した警察署員が名も明かさずに立去ったことなどもあり、民主的な警察として評判は悪くなかったようである。