労働者の生活権確保の闘争は、インフレの昂進にともない、また組合組織の拡大にともなって各所で争議の頻発をみせた。なかでも国鉄労働組合・全逓従業員組合を中心とした官公庁労働組合は、二十一年秋から賃金値上げと越年資金支給の要求を掲げて、はげしい闘争に入った。民間企業の労働者もこれに同調して起ち上るところも多かった。こうした闘争意識の昂揚を背景に、官公庁関係の労働組合は、同年十一月二十六日「共同闘争委員会」を組織して政府当局との直接交渉に入った。しかし交渉は進展をみせなかったため、翌二十二年二月一日を期してゼネストに入ることを宣言し、ストの準備を進めた。
これに対し政府は「官公吏の給与は、国家の経済力及びこれと関連する財政の負担力、即ち国民の担税力に直接に縁由するものであるから、企業における雇傭関係の如く、企業内部における収益の分配とは全然その本質を異にする所以を、十分認識することを要する」として、官公吏の給与改善には消極的であった(『桜井庶務関係綴』)。しかも「官公吏は、国家公共の公僕であって、その行動は直接国家全般の体制に重大なる関係を有しておる」とし、「近時民主主義の真精神を誤解し、一部には著しく綱紀弛緩し、自ら規律を軽んじ法を無視して憚らざる風潮が甚だ顕著である」と公務員の考え方に対する姿勢をきびしく非難している。これはあきらかに官公庁労働組合の賃上げ運動を指したものである。
こうした政府の頑な態度に対し、官公庁労働組合は、広くゼネストへの結集をはかるため、未組織の市町村公務員に対しても早急に組合を結成しゼネストに参加するよう呼かけた。たとえば埼玉県職員組合埼葛支部では、二十二年一月二十四日、埼葛管内各町村有給職員各位あてに、
既に御承知の通り、全官公庁・全鉄・全逓・全教各職員組合は、相呼応して生活権確立を叫んで起ち上り、愈々二月一日を期しゼネストを敢行するの止むなきに至りました。就いては我々と同じ運命にある町村有給吏員諸君、この際我々と行動を共にして、相携へて目的貫徹のため蹶起せられんことを切望して止みません。
との檄をのせ、連絡事項として
(1)各町村役場有給吏員は、此際早急に職員組合を結成すること。準則は、追々送付の予定なるも間に合わないので、適宜の方法を以て結成すること。
(2)来る二十八日午前十時より、春日部町駅前広場に於いて、埼葛地区全官公庁・全鉄・全逓・全教共同闘争連合会主催の下に、危機突破国民大会を開催す。各町村二名以上は御参加願います。
と呼びかけていた。この埼玉県職員組合の働きかけによるものか不明ながら、大宮市役所の職員二五〇名が、一月二十九日に職員組合を結成、二・一ストに参加することを決定している。このほか組合側は、ストライキ基金の募集のため、各地で芸能人らを招いて興行を行なっていた。こうして二月一日のゼネストを目前にひかえた一月末の緊迫した町の様子を、たとえば埼玉新聞一月三十一日付の報道によってみると、〝相撲やストに賑う越ヶ谷〟との見出しで
卅日の越ヶ谷町は、国民学校の校庭で引揚同胞援護資金募集に、照国・羽黒山一行の大相撲があり、橋一つ渡つた大沢町東武劇場では、春日部税務署員のスト基金募集、川路ふみ子一統の歌謡曲があつたので、越ヶ谷・大沢町は勿論、近村の人々は約数千人位で、近来になくやぐら太鼓の音に男は相撲、女は歌謡曲に二分され、街は賑つた。一方東武電車の各駅には、二・一スト突入決定のビラがはられ、街のポストにはいよいよ一日をもつてストに突入、郵便・電車・電話や貯金の払戻し停止さると、騰写版刷のビラがばらまかれてあるので、電車の乗客、局の窓口に待つ人、さては相撲の見物人までが、一寸の話の合間にも話題はあちこちストのことばかり、かくていよいよ切迫し、前例なき空気を前に越ヶ谷町は明暗二つにつゝまれた。
と伝えている。また二十九日付の埼玉新聞には、〝父兄暗黙越ヶ谷高女スト準備に悩みあり〟との見出しで、「越ヶ谷高等女学校では、去る二十七日スト準備のため、父兄会を開催したが、父兄会員八三名中四三名の出席、ストはさけられないという説明に、ただ黙って学校側の説明を聞いただけで散会した」と越ヶ谷高等女学校の様子を報じていた。
こうして官公庁労働組合を中心とした一大ゼネストは当日を迎えたが、スト突入直前に連合軍総司令部の指令が伝えられ、ストは阻止された。このスト中止となった当日の様子を埼玉新聞では、〝壇上の先生淋し〟との見出しで、次のごとく報じていた。
一日より授業は平常通りで、小使さんの鐘がなって生徒が安心して勉強に入った。教壇に立った先生の姿はさびしかったが、生徒達はやはり先生と一緒に勉強できるのを喜んでいる。駅にはスト中止電車は平常通り運転と大きなビラがはられている。
かくて二・一ストは、連合軍の命令で阻止されたが、その後も官公庁労働者の攻勢ははげしく続けられた。このため政府は総司令部の意向にこたえ、公務員のストライキ権ならびに団体交渉権をとりあげる政令二〇一号を公布した。この政令にもとづき二十三年十一月、公務員法の改正が行なわれ、公務員のスト権と団体交渉権が剥奪された。続いて同年十二月、公共企業体等労働関係法が制定され、国鉄・郵便・専売など、いわゆる三公社五現業労働者のスト権も奪われ、同時に団体交渉権も規制されるに至った。