昭和二十一年八月連合軍総司令部の要請によって派遣された米国教育使節団は、日本の教育現状を調査のうえ、教育制度の改革報告書を政府に示した。これをうけた政府は教育刷新委員会を通じて審議を進めていたが、二十二年三月教育基本法と学校教育法を制定、同年四月から新学制による学校教育を発足させるよう布達した。
この新学制による主な改革点は、国民学校の名称が小学校と改められ、高等科が廃されて義務制による三年課程の新制中学校が設けられたことである。つまり従来六年の義務制が、九年間に延長されたわけであり、これを通称六・三制と称した。ことに新制中学校は、男女共学を原則とし、校舎は独立校舎を原則とし各市町村ごとに設置することが義務づけられた。その教科目は国語・数学・理科・音楽・図画工作・体育、それに農村においては農業などであったが、従来の修身・国史・地理の三教科がなくなり、新たに社会・家庭・自由研究の三科目が教科に加えられた。
このうち社会科の登場は新教育課程のなかでももっとも大きな特色を示すものであり、家庭科も男女の差別なく教科が課せられた。また自由研究は自主的な教科活動を行なうために設けられたものである。なお二十六年に教科目の一部改訂が行なわれたが、このとき自由研究は発展的に解消され、かわって教科以外の活動として、児童会・学級会・校内放送・クラブ活動などが設けられ、児童の趣味や能力に応じた社会活動の場に供された。