越ヶ谷町の文芸愛好者ならびに文芸研究者有志は、終戦直後月刊雑誌『草笛』の発刊を目的に越ヶ谷町文芸協会を結成した。昭和二十二年八月に刊行された『草笛』創刊号に掲げられた同会の規約によると、同会の会員は「同人」と「社友」とに分かれ、同人は年会費三六〇円、社友は八四円であり、会員はその作品を『草笛』誌上に発表できるが、掲載の選択は会員間の互選によった。投稿の種類は短歌・俳句・詩・批評・通信であった。このほか毎月一回短歌の講座、春秋二回俳句の吟行会を催すことになっていた。はじめこの文芸協会は短歌中心であったが、後には俳句が主流となった。なお『草笛』は通巻三一号を最後に二十七年に廃刊となり、同時に文芸協会は解消されたが、その後の越谷俳句の盛況は、同協会の功績に負うところが大きい。