ララ物資

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ララとはアジア救済連盟の略称である。戦後アジア地域の困窮者救済を目的に、昭和二十一年アメリカの宗教団体・労働団体一三団体によって組織された。この援助資金はアメリカの一般人からの寄付を募り、これで食糧・衣料・薬品などの物資を購入、主に日本と朝鮮向に送られた。

 このうちララ衣料は、二十六年三月にも越谷地域に配給されている。このとき桜井村の民生委員は、ララ衣料受給者の家庭状況を報告した。これによると、ある家庭では、世帯主が五年以前から肺結核を患い、二十四年十一月に南埼玉郡黒浜村の国立埼玉療養所に収容された。妻をはじめ残された三名の家族は、身寄りの家の物置を借りて居住したが、ここには畳も敷かれておらず家財道具もほとんどない。二人の幼児を抱えた母親は内職で僅かな収入を得ていたが、衣料を購入する余力もない状態であると述べている。

 またある農家では、世帯主がアルコール中毒で働きにも出られなかったが、その妻も精神に異状を来して仕事もできない。このため二五歳の長男と一七歳の長女が新聞配達をしながら農作業にはげみ、一家七名の生計を支えているが、肥料代にも窮し、あまつさえ借財の返済に迫られ主食の配給もうけられない始末である。寝具の布団も破れて綿にもぐって寝ている状況であり、足袋はおろか着衣もぼろぼろであると、この惨状を報告していた。