民生委員の設置

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民生委員制度は、生活保護法とともに二十一年十月に施行されたが、この民生委員は戦前から生活保護の任に当った方面委員が民生委員と名が改められたものである。しかし方面委員は、隣保相扶、互助共済の精神に基づき、地域住民の責任において恩恵的な職務を執行したが、民生委員は、国家の責任で行われる社会保護行政の末端組織に位置づけられ、社会福祉の推進義務が課せられている。つまり保護機関は町村長であり、民生委員はその補助機関であったが、実際にはこの任務を遂行するのは民生委員であった。

 その主な任務は、住民の生活状態の調査、要保護者に対する適切な保護措置の履行などである。当初は従前からの方面委員がそのまま民生委員に任ぜられたが、二ヵ月後にはその身分が失われ、推薦委員会によって新たな委員が選出されることになっていた。

 その後各町村内の町内会・部落会などが、総司令部の命令で解散させられたため、それまで隣組に課せられていた業務を民生委員が代行することが多くなった。たとえば新制中学校や警察署などの建築資金の募集や、中小商工業者などの依託調査、あるいは特殊物資の配給事務など、民生委員本来の職務から逸脱した行為が目立ち、隣組制度の再来であるとの誤解が生じるにいたった。このため二十五年四月、民生委員制度の一部改正が行われ、市町村議員や県会議員などの民生委員兼職が禁止された。