社会福祉協議会の発足

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戦後恩賜財団軍人援護会と、同戦災援護会は、中央の指令によって解散され、新たに同胞援護会が設置された。埼玉県においても昭和二十一年七月、知事を支部長とした同胞援護会埼玉県支部が設けられ、側面からの保護対策が進められた。後、この援護会の事業は、埼玉県社会事業協議会に引継がれたが、二十六年一月「埼玉県という一つの地域全体の福祉増進を図る綜合的企画機関たるためには、このままの姿では不充分であり、時代の要請に応じ得る体制でないことは言うまでもありません」(桜井村「厚生関係書類」)との趣旨により、埼玉県社会事業協議会、同厚生会、同民生委員連盟の三団体を中心に、財団法人埼玉県社会福祉協議会が設立された。

 これにともない地域組織の埼葛社会福祉協議会が埼葛地方事務所に置かれた。同協議会の事業内容は、たとえば二十六年度埼葛同協議会の事業計画でみると、(1)社会福祉事業の連絡調整、ならびに綜合計画、(2)社会福祉従事者の指導、(3)社会福祉事業の啓発宣伝、(4)共同募金の実施協力、(5)法外援護としての軍人遺家族等に対する慰問、などとなっていた。

 さらに埼玉県同協議会二十六年度の行事では、壁新聞「埼玉メガホン」特集号の発行、パンフレットの配付、社会事業推進協議の懇談会、無料診療相談所の開設、身体障害者の座談会、要援護家庭への慰問品贈呈、軍人遺族などに対する慰問演芸会の開催、児童福祉の座談会開催、雇傭促進運動の展開、青少年補導の強化徹底などを計画していた。

 当地域では、埼葛社会福祉協議会が結成されて間もない二十六年五月、桜井村は同村林西寺境内に児童遊園地の開設を計画、遊園地敷地の整地ならびにブランコやスベリ台購入のための補助金を埼葛同協議会に申請している。その後各町村ごとに同協議会が設立されていったが、二十七年十二月には、埼玉県下三一五町村すべてが結成済と報告されている。なお同年の埼玉県社会福祉施設のうち、越谷地域周辺でこれをみると、医療施設では南埼玉郡黒浜村の国立埼玉療養所、授産施設では同郡春日部町の春日部授産所、同越ヶ谷町授産所、公益質屋では越ヶ谷町恵比寿屋、吉川町港屋、引揚者集団収容施設としては、荻島村の荻島寮、北葛飾郡南桜井村(現庄和町)の南桜井寮、乳児園では岩槻町の岩槻乳児園、母子寮では草加町の草加母子寮、保育所では大沢町の大沢保育園、草加町の草加保育園、南埼玉郡三箇村のあやめ保育園、養護施設では、南桜井村の子供の町、北埼玉郡礼羽村(現加須市)の愛泉寮、教護院では北足立郡大門村(現浦和市)の武蔵野学院などであったが、養老・更生・児童相談などの諸施設は、浦和・大宮・熊谷などの大都市に集中していた。