国家神道の解体

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昭和二十年十二月、日本占領軍総司令部は、〝神道指令〟など一連の宗教改革に関する通牒を発し、国家神道の解体と宗教界の刷新に努めさせた。この手段としてとくに民間情報教育局のなかに宗教課を設け、我が国の終戦連絡中央事務局、ならびに文部省との連絡にあたらせた。

 宗教界をゆるがしたこの〝神道指令〟とは、「国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰、或ハ信仰告白ノ強制ヨリ日本国民ヲ解放スル」ためのものであるとして、

(1)日本政府・都道府県・市町村、あるいは官公吏等の公的資格において、神道の保証・支援・保全・監督ならびに弘布することを禁止する。

(2)神道及び神社に対し、公的な財源によるすべての財政的援助や、公的要素を排除する。

(3)神道の教義・慣例・祭式・儀式・礼式において、軍国主義的なイデオロギーの如何なる宣伝や弘布を行なうことを禁止する。

(4)日本政府・都道府県庁・市町村の官公吏は、その公的な資格、あるいは政府や役所の代表として、神道や神社の如何なる儀式や礼式に参列したり、参拝したりすることをすべて禁止する。

などの項目を示したものである。政府はこの指令にもとづき、中央官庁の神祇院をはじめ、国家神道に関する中央や地方の公的な機関をすべて廃止した。このため伊勢神宮をはじめ、すべての神社は私的な宗教施設に置きかえられるとともに、従来官公吏の身分を与えられていた神職は、官公吏の地位を奪われることになった。同時に宗教法人令が公布され、全く自由な届出制によって、誰でもが宗教法人を組織することができるようになった。すなわち宗教に対し従来法的な統制と強制をともなった宗教団体法が廃棄されたので、日本にはじめて信教の自由が保証されたともいえるのである。

 しかし一面従来の宗教団体は、中央官庁や地方自治体からの財政的な援助が打切られたうえ、官庁はもとより、町内会や部落会を通じた寄付の強制割当や、神符・守札・形代などの強制頒布も禁ぜられたので、既存の神社はいずれも財政的な困難に直面した。

 たとえば大沢町の村社香取神社の昭和二十年度の「収支決算報告」によると、その歳入は町費から支弁される神饌幣帛供進料金五五円、祈祷料五〇円、土地収入三円、寄付金二三〇円、その他氏子の負担金一九六円、計五九七円となっており、このなかから神主の給料その他が賄われていた。これが二十一年度からは、神饌幣帛料をはじめ、強制力をともなった氏子負担金や寄付金が廃止されたので、その神社経営は財政的に行詰ったようである。このためなかには神社敷地に対する国有地無償譲与をうけた際、その敷地を他に売却したりした神社もあったが、およその神社は、結婚式場にこれを開放したりあるいは店舗になおしたり、貸地・貸家を行うなど新しい経営に乗り出すところもあった。