審議会の合併試案

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埼玉県町村合併促進審議会では、昭和二十九年二月県下各町村の合併試案を発表した。これによると埼葛地区七一ヵ町村は一六ヵ町村に統合されると示されており、越谷地域では越ヶ谷・大沢・増林・荻島・大相模・出羽・蒲生・川柳の二町六ヵ村が合体、人口三万六二四四人、面積四七・三平方キロメートルの新町を形成する。また大袋・桜井・新方の三ヵ村が合体し、人口九五八三人、面積一八・〇三平方キロメートルの新村を形成するという計画案になっていた。

 各町村では埼玉県審議会の示した計画案に基づき、町村それぞれ合併推進協議会を設置して具体的な合併の話し合いを進めた。このうち新方村では計画案に示された桜井・大袋両村との合併を前提として、その合併の利点効果を、(1)教育・道路・消防・医療の充実、(2)人件費・需用費などの節減、(3)役場事務の専門化と能率化、(4)地位の向上、のためとして、ひろく宣伝に努めるとともに村民の協力を要請した。しかし一面、新方村はじめ桜井・大袋・増林・大沢の各町村は審議会の計画案とは別に、江戸時代から因縁の深い新方領(元荒川と古利根川にはさまれた地域)町村を一団とした新町の造成を希望する向もあった。

 このため新方村はじめ一町四ヵ村は春日部町と合併懇談会を開いて春日部町の意向を打診したりした。これに対し春日部町長は、すでに春日部町では、同町を中心とした周辺村々との合併がまとまっているが、旧新方領を基盤とした合併も考慮したいと答えた。このとき大沢町では現在のところ越ヶ谷町との合併は考えていないと述べ、増林村においても越ヶ谷や大相模とは縁が深いが、目下のところ合併の意志はないと言っており、この時点では大沢や増林などの町村は、春日部町を軸とした新方領地域町村の合併を指向していたようである。ところが新方領を一団とした広域町村による新町の構成は、県の方針に合致しなかったこともあり、この話は進展をみせなかった。こうした折、春日部町では同二十九年五月二十日、豊春・武里・幸松・豊野各村との合併を決定し、七月一日を期して市制を施行することを発表した。