ここにおいて埼玉県側では、同三十年七月九日町村合併審議会川柳村関係小委員会を通し、川柳村村長ならびに草加合併反対住民の代表二名を招いて打開策を協議させた。この間の事情を埼玉新聞の報道によってみると、〝県へ大挙押かく、草加合併に反対の川柳村〟との見出しで、
川柳村の合併問題は、昨年十二月草加合併に反対する六村議が辞職、残つた賛成派十議員が去月十三日の村会で草加合併を満場一致で可決した。県の合併促進審議会は、十五日午後、同村は一たん草加町と合併したのち越ヶ谷町へ分離合併を望む地区については、両町長間で改めて協議する、という決議を採択した。このため草加への合併を反対、越ヶ谷合併を望む愛村同志会では、これを不満として十五日、村内四ヶ所に約三百名が集り対策を協議、十六日出県して県に強く働きかけることに決つたもの。この日早朝から同村役場にも百七十名が村当局の善処を要望して座り込みを行なつた。出県した代表者は午前十一時から議事堂知事控室で栗原副知事、守屋総務部長と会い、審議会の決定は一方的だとして、草加合併と同時に伊原・麦塚・上谷・新田の四部落を越谷町への分割合併にして欲しいと陳情したが、栗原副知事から、審議会の決定は動かせないが、四部落の人たちが、それを受け入れられるかどうか相談して欲しい、との回答で、予定していた徹夜の座り込みを中止して引揚げ、帰村して地区民と協議することになつた。
とこれを報じている。ついで七月二十一日、埼玉県では大沢知事がこの紛争の調停に乗り出し、県が示した協定書を了承させることに成功した。これを同新聞の報道によつてみると、〝きょう協定書を決議、川柳村合併問題妥結へ〟との見出しで、
県当局は二十一日午前、第二応接室に草加・越谷両町長と町会議長、および関係代表者を招き、大沢知事自から調停に乗り出し、川柳村を草加町に編入する協定書、草加・越谷小中学校組合規約について協議した結果、何れも了承したので、草加町議会では二十二日、この協定書を決議し、直ちに県に提出することにした。よつて県は、午後開かれた県会総務常任委員会でこの経過を報告するとともに、常任委員会側の意見を聴取したが、常任委員会としてはこの報告を了承し、二十二日草加町で決議案を可決したのち、二十二日午前十時から総務委員会を開き、この合併案をのむことを確約した。このため川柳村の草加合併は、二十三日の県会で可決されることになろう。
とあり、この協定書の内容は、
(1)川柳村大字伊原・上谷および麦塚の区域については、合併後越谷町に編入する。
(2)前項の編入については、八月末日までに、議決を得、次の県議会に提案できるよう措置する。
(3)第一項以外の区域については、協議のうえ定める。
(4)分割に伴う財産処分に当っては、草加町長および越谷町長において協議のうえ定めるが、小中学校については、当分の間両町の組合立とする。
というものであった。この結果同問題は県議会の可決いかんにかかったので、川柳村長は改めて県議会に対し、次のごとき歎願書を提出して、その可決方を要請した。
今次県議会に上程せられました草加町合併案は、越谷合併希望住民の意志を充分考慮し、草加町合併住民の希望により境界変更して越谷町に属せしむる、との条件は、川柳村・草加町両町村の了解の上申請したものでありますので、是非可決御許可下さいますよう懇願いたします。万一本議案が保留されるような事態に至りますと、村長・村議の任期満了に伴い、村行政に収拾のつかない混乱に陥り、村は自滅の止むなき状態に立至ることも予想されますので、是非この際一応一括草加町に合併し、地区住民の希望により境界変更し、財産は公平に配分する条件で可決下さいますよう御配慮を重ねて御願い申上げます。
県議会では、川柳村の条件付草加合併を、この歎願書どおり二十三日の議会で可決したので、川柳村の一括草加町編入は、八月一日にようやく実現をみた。その後越谷合併派の伊原・上谷・麦塚の住民は境界を変更し、同三十年十一月三日正式に越谷町へ編入となり、長い期間にわたってはげしく争われた合併問題に終止符が打たれた。