続いて同月三十日付産経新聞では、〝草加・越谷市が誕生、空から前田産経会長メッセージ、記念行事も多彩に〟の見出しで、
日光街道に沿って発展を続ける草加・越谷の両町が、十一月一日(ママ)からそろって市制を施行する。新市ブームにのって誕生する県下では二十一、二十二番目の市となるわけで、草加は一日、越谷は三日を中心として、多彩な記念祝賀行事をくりひろげる。産経新聞では両市の誕生を祝して本社機を飛ばし、空から前田会長のメッセージを投下するほか、地上ではミスユニバース日本第二位の越田富美子さんをはじめ、ミス埼玉宮永貴代美、準ミス埼玉本間啓子の三嬢が、本社宣伝カーで自動車パレードに参加、市民に祝福を贈る。(中略)越谷は周辺に穀倉地帯を控え、野菜は東京都への補給地として知られ、農業経営の改善から農村経済はかなり安定している。また四号国道舗装工事の完成によって交通量も増加、大工場の誘致も計画されている。祝賀行事は、二日の市民運動会(越谷中)、武道大会(同)でフタ開けされ、三日は午前十時から越谷高校で記念式典、また芸能大会が午前十時から越谷小学校で催されるほか、小・中学生の旗行列、自衛隊音楽隊の演奏、商工会主催の自動車パレードが市内の目抜き通りを埋める。自動車パレードには、本社選出のミス三嬢が参加、記念式典ではミス日本第二位の越田富美子嬢から初代市長大塚伴鹿氏に花束が贈られる。このほかチンドン屋大会、山車人形の飾り付、華道展など祝賀気分を盛上げる。また越谷郵便局で記念スタンプを発行する。
と、十一月三日を中心とした越谷市の祝賀行事のさまざまな催しものの予定を報じている。また読売新聞では「五ヵ年計画で進めている新町計画を早め、やはりデンマーク式の田園都市として発展させていきたい」との大塚伴鹿新市長の市制後の抱負の談話を載せた。
やがて十一月三日の祝賀行事の模様を、十一月四日付の毎日新聞では、〝田園情緒たっぷり、越谷日ねもす市制の喜び〟との見出しで、次のごとく報じている。
越谷市は文化の日を期して新発足し、市内では祝賀式典や数々のお祝い行事がひろげられ、田園都市としての喜びを新たにした。午前十時半から越谷高校の祝賀式場で、大塚伴鹿市長は〝四万市民の繁栄と幸福を築く理想都市にしたい〟とあいさつ千人の出席者が〝越谷市万歳〟を唱和、宮内庁カモ場で祝賀パーティを開いた。
越谷ハトの会のハト千羽が紅白のテープを結んで上空を乱舞、市内は各町内ごとに山車屋台で飾られ、お祭気分でわき立つなかを、自衛隊音楽隊も参加した宣伝カーのパレード、チンドン屋大会、芸能大会などがあり、小雨を縫って市中を流れる祭ばやしの音が、いかにも出来秋にふさわしい田園情緒を出し、市内は終日ごったがえした。
また朝日新聞では、
この日の新市は、紅白のマン幕や造花のモミヂなど、各町思い思いに飾り、この中をあいにくの小雨をついて小・中学生の旗行列、六十余台の自動車パレード、陸上自衛隊の音楽隊などが、市中を行進し、越ヶ谷小学校では郷土芸能大会、市在住ハムクラブ員が新市誕生の喜びを広くアマチュア無線家に知らせる交信など、数々の催しがあり、人出も三万余で夜遅くまで市内をにぎわした。本社機も祝賀式上空を数回旋回して市民の歓呼に答えメッセージを投下、祝意を表した。
と、当日の華やかな祝賀模様を報じた。こうして越谷市が広く人びとから祝福されて誕生したが、早くも越谷新市長は同年十一月任期満了となっていたので、次期市長選が行われることになった。しかし十二月四日の告示後前市長の届出があっただけで、九日の立候補締切日にも対立候補が出なかったので、前市長大塚伴鹿が無競争で次期市長に再選された。このときの東京新聞による新市長の談話によると、「通算三期目の信任を受けてまったくありがたい。今後は老朽校舎の改築、中学統合など教育施設の拡充、簡易水道、土地改良で、農村部の振興、さらに東小林・大房・大作三地域を市街地に育成などの三項目を重点にして、グリーンベルトの一環として豊かな田園都市をつくりたい」と、信任の感激を交え将来の抱負を披瀝していた。