越谷市となって満一年、市役所は、管内各中学校第一学年生徒家庭一二一八軒の父兄を対象に、昭和三十四年度における市政に関する世論調査を行なった。この調査結果の主な回答を掲げると、次のごとくである。
まず「市役所の職員」については、旧村よりも民主的で皆親切な感じ、職員が親切で大変よく、窓口も便利である。とくに戸籍係の人は親切である。と回答をよせた市民がいた反面、昔の地主のだんなぶりをする人がいる。職員はもう少し親切であってもよい。職員が多いので驚いた。必要以外の人は雇わないで下さい。莫大な人件費を使って徴税だけをしているなら支所は廃止したらよい。と、それぞれ職員に対する評価は違っていたが、大体において職員の不親切を指摘したものが多かった。
「教育関係」では、中学生の父兄の回答であっただけに、ほとんどが青少年の不良化防止につとめてほしいとの回答を寄せていた。このほか高等工業学校の新設、教育施設の拡充、新生活運動の宣伝強化、学校の新設や修繕などの要望があったが、なかには、学校の建設はある程度にして、むしろ教育内容を考慮した方がよい。今の学校は野球ばかり教育しているが、ソロバンも教育して下さい。農繁期には、学童の欠席を認めてもらいたい。学校の給食は、家庭の食事よりも栄養価値が劣っている、などの回答もあった。
「建設関係」では、道路や橋の改修、用水排水の改良、農道の整備、下水道工事の促進などの要望が多いが、なかには、暗い道路には街灯を備える。浦和県道・野田街道・赤山県道・吉川県道その他主要な道路には鋪装をほどこせ。工場誘致を土地ブローカーにまかせず、市当局が本腰でこれに取組んでほしい。道路の砂利配給が不公平である。市長や土木課長は、雨天の時、市内各地を巡って見る必要がある、などの苦情も多かった。
「産業関係」では、土地改良事業の促進と工場誘致運動の活発化、あるいは農業機械化の補助対策、小農の自立対策、農薬の共同散布、などの要望が寄せられたが、工場誘致に関しては、相反する意見に大きく分れていた。たとえば、次男三男対策として、工業の発展を望む。工場の誘致をはかって市税の引下げを希望する。商工会では都バスの入ることに反対したそうだが、都バスを入れ、大工場を招き、工業を発展させれば、商人も発展するだろう。市長さんは、初め越谷市を田園都市化していきたいといいましたが、それは時代おくれです。東京にこれだけ近い越谷市です。それよりも工業・商業を発展させていただきたい。秩父市をみて下さい。あんな山奥にこれだけの市があると思うと、私は越谷がどのくらいおくれているかと思います。などと、工場誘致を要望する声がある反面、市の発展とかなんとかいって、工場誘致や住宅建設をむやみに進めようとしているが、農地をつぶすことに市当局が積極的であるのはどうかと思う。農地が減れば泣くのは農家であり農家も市民の一人である。と、工場誘致など都市化に反対する回答もみられた。
「厚生・福祉」関係では、市営住宅や公営住宅の建設、公営保育所の増設、内職補導所の設置、身体障害者などの援護対策の強化、などが寄せられていたが、なかには遺族援護などは誠に結構であるが、援護に甘えさせず、自重して努力するよう指導を頼む。とか、田園都市であるから、農繁期などには、共同保育所などの開設が望ましい。それにもう少し社会保障の拡充を願いたい。などというものもあった。
「衛生」関係では、消毒の実施や下水の掃除、ゴミや糞尿処理の適切化、健康診断の無料巡回などの要望が多かったが、国民健康保険税が高すぎるとか、越谷市に保健所を新設してほしい、中央に市設病院を建ててほしいという回答もあった。なかには、蚊その他害虫の発生を防ぐため、薬剤の散布を励行してください、殊に市役所内には蝿が多いのには驚きました。ぜひ撲滅して下さい。また、「ゴミの処理に、お金を取るので各所の空地にゴミを捨てている、東京都のようにゴミ集めを無料にしたら街はきれいになるだろう。養鶏場が多いため蝿が多い、町営もしくは養鶏組合で火力による共同乾糞場を造り、近所の人の被害を少くしてほしい吉川町では農村地帯の方にまで、夏の予防班を出して蝿や蚊の撲滅を行っているが、当市ではできないのかなどの意見もみられた。
「その他」では、広報こしがやの発行は得る処大である。無料巡回診療が実施されたので助かる。水道がしかれたので本当に有難い。できれば農家にも水道が欲しい。常備消防署の設置が望ましい。ガスの施設もほしい。という感謝や要望の回答が多く寄せられたが、なかには、市民税がよその市より倍であり高すぎる。消防自動車の訓練使用については、乱用している傾向があるので篤と監視して下さい。水道が入ってからウマイ水や茶が飲めなくなった、当市の水道はとくにサラシ粉臭い。土地改良で金がかかるので、水道の施設は当分のばした方がよい。などというものもあった。
これら世論調査の結果、市役所は市民の要望や苦情の一端を知ることができたが、それでは市政のうえで、これらをどう処理していったのであろうか。