塵芥・し尿の処理

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二町八ヵ村合併による新越谷町の発足当初は、塵芥の処理も越ヶ谷・大沢の一部二〇五戸、全世帯数のわずか二・五%の処理能力しか持たなかった。し尿の処理も、三十三年清掃条例を設け、汚物取扱業者にこれを委託したが、処理区域は旧越ヶ谷町と大沢町の市街地の一部五〇八戸、全体の六%にも満たなかった。その他は農家の肥料用として個々に農家と契約を結んだり、あるいは自家用に処理されていたのである。

 その後塵芥の処理は、三十六年草加・越谷組合立による焼却場が草加市新田に設けられ、当所で処理されるようになったが、両市とも人口の激増にともない、近代的な処理場の建設が急がれた。しかしこの塵芥やし尿の処理は、越谷・草加の両市に限らず、埼玉東部地域一帯の共通の懸案であったので、越谷市をはじめ、草加・八潮・吉川・三郷・松伏の六ヵ市町村が協議の結果、四十年十月、前記六ヵ市町村による埼玉県東部清掃組合が成立した。そして越谷市増林に総工費一億数千万円で近代的な処理施設の建設が進められたが、し尿処理施設は四十二年二月から、塵芥処理施設は同年十二月から稼動した。

東部清掃組合

 これによりその処理能力は第4表のごとく全世帯数の九五%に達した。ついで人口急増に対処し、第二期拡張工事が四十二年十一月からはじめられ四十四年三月に完成、引続き第三期工事が四十四年十月から施行されて四十六年三月に竣工、さらに、第四期工事が四十七年十月から着工され、四十八年十月に完成した。続いて第二清掃工場計画が進められ、塵芥し尿の処理施設の拡充がはかられている。なお塵芥回収の手数料として越谷市は、昭和四十四年当時一戸当り月額五〇円を徴収していたが、同年四月から無料回収を実施し現在に至っている。

第4表 塵芥・し尿処理戸数の推移
年度 総世帯数 塵芥 し尿
収集世帯 収集世帯
30 8,107 205 2.5
33 8,390 1,192 14 508 6
38 10,866 3,365 30 3,365 30
40 15,654 6,088 39 6,088 39
43 26,303 25,091 95 25,091 95