保育施設とその他の施設

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昭和二十九年十一月に行われた町村合併以前の越谷地域町村には、町村が助成金を出して委託する私立の保育園が、大沢に一ヵ所、越ヶ谷に一ヵ所設けられていたが、まだ町村立の保育所は設けられていなかった。町村合併後町民の要望により、三十三年四月まず蒲生に町立の保育所が開設された。ついで三十七年七月、転入戸数の密集地域である大袋の恩間に、四十一年一月には大相模の東方に保育所が開設された。

 また四十二年五月には、生後六ヵ月から満二歳までの乳幼児八〇人を収容する、越谷市では唯一の乳児保育所が越ヶ谷新町元荒川の埋立地に設立された。工事費は二二〇〇万円、鉄筋平屋一部二階建五五七平方メートル、保育室のほか調乳室・医務室・浴室などが完備されていた。ことにこの乳児保育所は、市立の施設としては、県下で初めてのものだったが、開設当時は親たちの不安から、入所の申込みは少なかったといわれる。続いて桜井・増林・大沢第一・中央(越ヶ谷)・深田・七左・川柳などの保育所が開設されたが、このうち四十三年四月に開設された桜井保育所の完成を、埼玉新聞の報道によってみると、「越谷市平方地区に、市立桜井保育所が完成、保育を始めた。木造平屋建て四百八平方メートルのモダンな建て物で、保育室三、遊戯室・乳児室兼ほふく室・調理室・医務室などが完備している。工費八百八十万円、桜井・新方両地区の三歳から学齢前までの幼児が対象で定員は九十人、四人の保母さんが午前八時三十分から午後四時三十分まで保育に当たる。これで市内の保育園は、市立五、私立三の八つにふえる。」とこれを報じている。その後荻島・赤山・蒲生南・新方の各保育所が設けられていったが、これらはいずれも一部乳児を収容する設備を整えた保育所である。なかには蒲生や大袋のごとく、改築されて同じく一部乳児を収容している所もある(第5表参照)。

第5表 越谷市の保育所(昭和51年現在)
保育所名 開設年月日 定員
(市立) 蒲生保育所 33.4.1 150人(内乳児30人)
大袋保育所 37.7.1 120人( 〃 30人)
大相模保育所 41.1.16 70人
乳児保育所 42.5.1 乳児80人
桜井保育所 43.4.1 90人
増林保育所 44.4.1 90人
大沢第一保育所 45.4.1 150人
中央保育所 45.5.1 150人
深田保育所 46.4.1 100
七左保育所 46.4.1 100
川柳保育所 47.4.1 100
荻島保育所 48.4.1 100(内乳児20人)
赤山保育所 50.4.1 100( 〃 30人)
蒲生南保育所 50.4.1 100( 〃 30人)
新方保育所 51.4.1 100( 〃 30人)
(私立) 大沢保育園 27.4.8 105
越ヶ谷保育園 29.5.1 60
あおい保育園 39.4.1 70

 このほか私立では、昭和二十七年四月に開園した大沢保育園、二十九年四月に開園した越ヶ谷保育園、三十九年四月開園の越ヶ谷あおい保育園があり、現在これらを合せると市内には一八ヵ所の保育所が数えられる。

 また老人の養護施設では、昭和四十年九月に完成した福祉会館内に、老人娯楽室が設けられ、老人のレジャーセンターとなっていたが、四十四年四月、新方地区向畑の古利根川べりに、五〇人を収容できる養護老人ホーム順正苑が完成した。総工費四〇七〇万円鉄筋平屋建で、埼玉県下では一五番目の老人ホームに当る。このほか大袋地区袋山に精薄児通園施設みのり学園、増林地区東小林に肢体不自由児通園施設あけぼの学園などが設けられている。

 また多年の懸案であった市立病院は、幾多の曲折を経ながらも増林地区東小林に建設され、昭和五十一年一月に開院した。地上八階地下一階、充実した医療設備とベッド三〇〇床を備え、規模の大きな近代的な病院として発足した。同時に同病院併設の高等看護学院が五十年四月から開設されている。